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東京とご家族の住む熊本を行き来しつつ、創作を続ける海猫沢めろんさん。前回のインタビューでは、東京の仕事場があるシェアハウスにお邪魔し、その様子と熊本での生活について語っていただきました。
海猫沢さんの話題の新刊『キッズファイヤー・ドットコム』は、ホストが子育てのための資金をクラウドファンディングで募り、ネットを炎上させて、日本の子育てに革命を起こす物語です。
そこにはご自身の子育てやホスト経験、“世間の常識”についてこれまで感じてきたことが込められているそう。今回は作品についてたっぷりお話を伺います。
▼2階の仕事部屋からベランダにいる海猫沢さんを撮影していますが、その後ろ側も実はシェアハウスの一室。複雑に部屋が連なっている、迷路のようなワクワクするお宅です。
――新刊『キッズファイヤー・ドットコム』は、我が子かどうかもわからない赤ちゃんを育てることになったカリスマホストが、ITを使って日本の子育てのあり方を変えようとする物語ですね。どうしてこの作品を書かれようと思ったのですか?
編集者から依頼があったからなのですが、そうでなければ子育ての話を書こうとは思わなかったと思います。
最初にこの小説を考えたときに、村上龍さんの『コインロッカー・ベイビーズ』や『愛と幻想のファシズム』とともに、「スリーメン&ベビー」というアメリカ映画のことが頭にありました。独身生活を謳歌している3人の男がいて、ある日、彼らが同居する部屋の前に赤ん坊が置き去りにされてしまう。その子を3人で育てるという話なのですが、そういった要素を入れようという思いはありました。
――主人公は、新宿の歌舞伎町でホストクラブの店長を務めている白鳥神威です。主人公をホストにされたのはなぜですか?
自分が昔やっていたということもあります。大人の小説を書くときに最初に考えるのは、職業なんです。中高生が読むライトノベルであれば、学校のシステムなどはほとんど同じなので、登場人物が学生という設定だけでみんなが共感できます。
ですが、大人はそれぞれ職業が違うし、たとえば僕が商社のサラリーマンを書こうと思っても、あまりにもわからないから難しい。それならむしろ、読者の共感を得る方向ではなくて、変わった職業のほうがいいだろうなと。僕がある程度リアリティを持てて、それ自体がおもしろいキャラクターになっている職業を考えていったら、ホストになりました。
――主人公の神威は、独自の哲学と、ホストとしての自負を持っている人物。自宅の前に置き去りにされた赤ちゃんを見つけたときも、それらの能力を駆使して、その赤ちゃんを躊躇なく育て始めることに驚かされました。私にも子どもがいますが、神威が血のつながりにこだわらない分、「個」対「個」として赤ちゃんに向き合う姿勢が印象的でした。
それは男親と女親の違いかもしれないですね。男親は自分が産んでいないから、最初からある意味子どもと(関係性が)切断されていると思うんです。
女親にとっては、子どもはずっと自分の中にいて、自分の体から出てきたからわかるけれど、極端なことを言えば男は本当に自分の子どもかどうかもわからないんです。
――神威も「自分の子どもである可能性もゼロではない」という気持ちで、子どもを育てることにします。そこには神威の育ってきた環境も大きく影響していますね。
主人公の神威は、「愛のない家庭」に生まれています。僕の周りでも親がいなかったり、いても親に暴力を受けていたりという環境で育った子たちがいて、彼らはそこに強いコンプレックスがある。でも彼らが道を外れてしまった理由は、世の中が持っている「家庭環境の悪い子がグレる」というイメージだと思うんです。
例えば、戦争中はレイプで生まれる子が何千、何万といる。それを「愛があって、両親が揃っている家庭で育たないとだめだ」といわれてしまったら、彼らはどうしようもないですよね。
家庭環境の良し悪しではなくて、世の中がみんな「生まれたから育てているだけだよ」というスタンスだったら、僕の周りにいた子たちもコンプレックスの理由がなくなります。「家庭環境」というものを重視する世間の常識に、結局みんな犠牲になっている気がしたんです。
神威もそういう家庭に生まれて育っているからこそ、育児は「愛情のあるなしじゃない」と感じているキャラクターです。だから赤ちゃんの母親は探さないし、自分で育てようとする。彼の子育ては、愛情がなくても子どもは育てられることを証明する行為なんです。
ホストはお客に「愛しているよ」というのが仕事だけれど、それはお金を引き出すために言っている嘘です。一方赤ちゃんは、いくら愛していると言葉で言っても救われないし、おむつを替えて、ミルクをあげなきゃ生きていけない。つまり彼らが普段仕事としてやっていることとは逆のことが起こってしまう。言葉と行動の、どちらが本当に必要なのかということですね。
――神威は数時間おきの授乳やおむつ替え、夜泣きなど一時も目が離せない“ワンオペ育児”に、次第に追い詰められていきます。私もその切迫感をかなりリアルに思い起こしました。特に子育ては、「~すべき」という「世間の常識」がかなり根強いものですよね。神威も赤ちゃんの世話を通して、そんな常識に縛られている自分に気づき、日本の子育てを変えようと思い至ります。
誰にもどこかしら「常識」がインストールされていて、それに苦しみますよね。僕はマニュアル人間なので、子どもが生まれたときにけっこう育児本を読んだんです。そうしたらどの本も、最後は「愛情」で締めてある。
確かにマニュアル本には、「愛がなくてもいい」とは書けないですよね。社会一般の常識でも、やはり愛情が重要ということになっています。でも小説には、通常では理解できない、受け入れがたいことを、物語の力で「納得」させてしまう力があります。それを感じてほしいと思っています。
――子連れでの仕事に行き詰った神威は、友人でIT企業の社長の三國孔明や店の仲間とともに、子どもへの寄付を募るクラウドファンディングを立ち上げます。「子育ては社会で取り組むべき問題」として提起し、ネットを炎上させることでメディアを挑発します。
その過程では、育児に追い詰められた母親やシングルマザー、子どものいない女性など立場の違う女性の心情や、少子高齢化や高齢者と若者の格差、旧態依然とした子育てのシステムなど、さまざまな問題が盛り込まれていますね。当たり前のことですが、社会にはさまざまな人がいる、その多様性の中で生きることについて考えさせられました。
その「社会性」については意識したところです。小説を書く中でだんだんわかってきたのは、特に文芸というジャンルは社会との接点がないと話題になりづらいということ。
僕がデビューしたのは2004年で、いわゆる“セカイ系”が流行っていた時代です。当時セカイ系について言われていたのは、間にあるべき「社会」がなくて、個人と世界がつながってしまうということ。僕もそういう世界観が好きだったのですが、ゼロ年代を過ぎるとモードが変わった気がしていて。
僕自身も社会とコミットしなくてはいけなかったり、子どもが生れたこともあって、否応なしにセカイ系ではいられなくなった感がありました。本当はそのままでいたいんですよ、思春期マインドがあふれていますから(笑)。
自分の実存的な人生として、日々社会に関する鬱憤がたまっていくうちに、“セカイ”のほうとはだんだん縁がなくなっていく。でも僕の中にはその両方があって、常にアンビバレンツな状態に引き裂かれている感じがあります。
その分この小説は、僕の作家性を殺さずして社会性も担保した、バランスのとれた作品になったのではないかと思っています。
海猫沢めろん(うみねこざわ・めろん)
1975年、大阪府生まれ。兵庫県姫路市育ち。2004年『左巻キ式ラストリゾ-ト』でデビュー。著書に『零式』『全滅脳フュ-チャー!!!』『愛についての感じ』『ニコニコ時給800円』『明日、機械がヒトになる ルポ最新科学』『夏の方舟』などがある。