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――〈どれだけ世の中が変わろうと、江戸とは地続き、時続き〉という言葉が印象的でした。
畠中:続いているけれど、ものすごい勢いで変わってもいる。その両面がこの時代を書くおもしろさなんですね。あまりにすごい変わり方なので、史料をいろいろ調べるのは大変ですが、「おぉ! こんなに変わったんだ」という驚きが楽しくもありました。
――第二話「赤手の拾い子」の冒頭に、〈江戸が終わって二十年、明治の世というのは、昨日まで並であったことが、あっという間に変わってゆく時だ、と思っている。〉という赤手のモノローグがあります。非常にスピーディに物事が進化していく現代社会とイメージが重なりました。明治の人たちも「そんなに早く変わったらついていけない!」といった感覚を持っていたのでしょうか。
畠中:持っていたと思いますよ。たとえば明治23年に43歳の人が20歳のときは、江戸時代だったわけです。自分に置き換えてみたら、大学生のときは江戸時代だったのが、43歳になると電車も走るような時代……。さぞかし、ついていくのが大変だったろうと思いますよね。暮らしの中で使っている物もどんどん変わっていったでしょうし、未知の物、慣れない物への恐怖もある。それで、〈煉瓦の家に住むと、青ぶくれになって死ぬ〉などという噂が立ったんですね。
――同じ妖ものでも、今作は「しゃばけ」シリーズとはまったく雰囲気が違います。少し意外でもありました。
畠中:毎回、何か新しいことをやってみようと考えているんです。今回は、今までと違った印象のものをと意識しました。読後感も、ほんわかしたやさしいものとは違った感覚に持っていければと。それはどうやったら変えられるのか、地の文なのか、話の運び方なのか……。成功しているかどうかわかりませんが、自分なりに挑戦しました。一つ挙げると、今回の物語は人が亡くなっていることも多いんですよね。そういうところが少し違うかな。「しゃばけ」シリーズとは違った楽しみ方をしてくださるとうれしいです。
――怪談の趣もありますね。怪談はお好きですか。
畠中:スプラッターまで行ってしまうと苦手です。血がドバッと出てキャーッというような怖さはちょっと……(笑)。「牡丹灯籠」みたいにヒヤッとする感じは好きかな。
――『明治・妖モダン』の怖さの加減は、まさにそういう感覚です。背筋がぞくっとするような。江戸から明治に時代が変わっても、普通の暮らしの中に妖がいたということは、そのまま今の世の中にも妖たちは生き続けているかも知れないわけですね。
畠中:今の世にもいるかも知れないし、現代物としても書けるんじゃないかなと思います。この世に妖がいたらどういう話になるのか。それはまたいつか……。