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デビュー作である『うさぎパン』や『左京区恋月橋渡ル』など、若者のキュートな青春と恋愛を描いた小説で人気の瀧羽麻子さん。発売されたばかりの『松ノ内家の居候』は、70年前の文豪の“お宝原稿”が掘り起こす、3世代を巻き込む恋と家族の物語で、著者の新境地ともいえる作品です。
その作品世界を支える瑞々しくも確かな文章力は、どのような本と毎日から生み出されるのでしょうか。瀧羽さんに読書日記を寄せていただきました。
〈三月某日〉
生まれてはじめて宝塚歌劇を観た。会場の尋常でない熱気に圧倒されつつも、宝塚を熱愛する友人が一緒なので心強い。前半のお芝居も後半のショウも、ひたすらゴージャスできらびやかですてきだった。
お芝居は小説が原作だと聞き、いつか拙著も、と一瞬夢が広がりかけたけれど、わたしの地味すぎる作風ではこの豪華絢爛なタカラヅカ世界にそぐわない。では自著以外なら、とさらに考えてみても、やはり具体例は思いつかない。わたしは書くものだけでなく、読むほうの好みも地味なのか。なんとなく悔しくて、帰宅後に本棚を見渡したところ、1冊見つけた。
『グレート・ギャツビー』(スコット・フィッツジェラルド著、村上春樹訳/中央公論新社)なら、ぴったりだ。夜ごと繰り返される豪勢なパーティーや贅を尽くした暮らしの陰に、ただ優雅なだけでない、退廃と絶望が濃く漂う。破滅へと突き進む孤独なギャツビーの色香は、あのどこか非現実的なステージにきっと映える。
勇んで友人に伝えたら、何年か前にもう舞台化されている、とすげなく教えられた。
〈三月某日〉
ホワイトデーに、大好きな小説家の新刊をもらった。題名は『ぼくの死体をよろしくたのむ』(川上弘美/小学館)、帯文は「一晩、一緒に過して下さい。お金は払います。」で、どうもホワイトデーっぽくはないが、うれしいので気にしない。
「銀座 午後二時 歌舞伎座あたり」「ルル秋桜」「いいラクダを得る」――目次に並ぶ短篇の題を読むだけでも楽しい。きれいな箱に詰められた、いろんなかたちや風味のチョコレートを眺めているような、うきうきした気分になる。
ちびちび楽しもうと決めていたのに、ついページをめくったが最後、気づけば読み終えていて呆然とする。大事にとっておくつもりだったチョコを、誘惑に負けて一気に食べつくしてしまったような、情けない気分になる。
でも、いい。品のいい甘みと豊かな香りは、しっかりと舌に残っている。
<三月某日>
昨秋に亡くなった祖父母の墓参りに、関西へ向かう。
道中、エッセイ集『すばらしい日々』(よしもとばなな/幻冬舎文庫)を読んで、何度も泣きそうになる。入院中の父を見舞うとき、「本人は死から逃げられない。だから私が普通に会いにいき、逃げてないところを見せなくては」と自分を励ましたこと。亡き母の好物だった「みたらし団子を食べるたびに、母にも分けてあげる気持ちになれる」こと。両親を見送った後、苦しかった日々を振り返り、「恐ろしい流れの中にも緩急があり、笑顔があり、落ち着けるときもあり、時間は延びたり縮んだりした」と実感したというくだりで、とうとう涙がこぼれた。
晩は実家に泊まる。近所の店で、シュークリームを買っていく。祖父母を訪ねるときも、よくこれを手土産にしたものだった。わたしの場合はみたらし団子じゃなくてシュークリームなんだな、と思いあたり、また少し泣きそうになる。
〈三月某日〉
妹一家と会う。3歳の甥は「これなあに?」が口癖で、ことあるごとにハイタッチを求めてくる。1歳の姪は、積み木であれ絵本であれソファの脚であれ、目に入ったものを無差別にかじろうとする。ふたりの相手をしながら、先日読んだ『コドモの定番』(おかべりか/中央公論新社)を思い出した。
1989年発行の本が、先月復刊されたらしい。あたたかな、味わい深い筆致で描かれた子どもたちは、服装や髪型こそ昭和ふうだけれど、しぐさも表情も(たぶん頭の中も)甥っ子たちのそれと重なる。ゆうべ実家でめくった、祖父母の家からもらってきた古いアルバムに登場する、はしゃぐわたしたち姉妹の姿とも。
時代はめぐってゆくのだ。
感慨は、けたたましい騒音で破られた。甥が作ったレゴの城を、姪が無残に踏み倒していた。甥がわめき、姪も泣き出し、大騒ぎになる。これもまた、昔からあちこちの家庭で繰り返されてきた光景のひとつなのかもしれない。
【瀧羽麻子さんの最新刊】
70年の時を経て、文豪とその孫が同じ屋敷に転がりこんだ。孫の目当ては幻の原稿。掘り起こされる、家族も知らない“秘密”。お宝騒動のさざ波が、彼方の記憶をたぐり寄せ……。心の奥をノックする瀧羽麻子の新境地。