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〈石田千さんの『きなりの雲』文庫版がこのほど発売されました。単行本刊行時(2012年1月)のインタビューを再掲載します。〉
やわらかな文体と、瑞々しい、情緒あふれるエッセイや短編小説で着実にファンを増やしている石田千さん。著者初めての長編小説である本作は「読む人がほっとするような小説を」という提案を受けてのことだったというが、「書き始めてみたら、ずいぶん痛めつけられている女の人が出てきてしまったので、この人をほっとするところまで連れていこうと思いながら書きました」。
築47年のアパートに住み、編みものの製作や講師で生計を立てながら、つましい生活を送っているさみ子。40歳にして手ひどい失恋をし、半年間“籠城”同然の生活を送るが、体の不調を機に日々の暮らしに立ち戻っていく。
「〈ほっとする〉ところにいくためにはゆっくり考える時間が必要で、それは頭でわかるのではなく、体の動きで消化していくものだと思うんです。たとえば体調をたてなおすための料理であったり、散らかったこころを見つめるための掃除であったり。(さみ子には)その中でじっくり自分と周辺を受けとめてほしかった」
本作のみならず、石田さんの作品は体の動きや触感、体感など「身体」を通して沁みこんでくる表現が魅力だ。
「たとえば卵焼きを作ることを書くにしても、どんな卵焼きかと頭で考えて形容するより、作る動作や空腹な状態といった体の感覚を信用しています。自分にできること、やってきたありあわせで内面をわかってもらおうとすると、筋肉や内臓の動き、手の仕事といったことを採集して書くようになりますね」
日々の暮らしに戻ること。すなわちそれは、自分を取り巻く人々の中へと帰っていくことでもある。「誰もが自分の中に波風を抱えて生きているわけですし、自分だけが大変なのではない。そのことに改めて気づくことが、悲しみから解放される一歩だと思うんです」
古いながらも趣のあるアパートに暮らす住人たちや、編みもの教室に集う人々との間に交わされるいたわりも、立ち止まっていた時間があればこそ、いっそう温かみを増す。
やがて、さみ子はある事件をきっかけに、一度は離れてしまった恋人・じろうくんと再会し、さみ子が姉のように慕い、陰日向になって彼女を応援する玲子とその夫には、思いがけない葛藤が訪れる。「(人間関係の)決着はいつでもつけられる。関係を絶たないまま続けていく間にいろいろなことに気づいたり学んだり、人の声に耳を傾けたりという時間が持てるといいなと思う」。惑いの末に「彼らが自ら気持ちのいいようにしていった」という2組のありように流れるのも、まさしくそんな“時間“。
自他や身近に息づく動植物にもひっそりと耳を澄まし、目を注ぐ。痛みも変化も受け止め、答えを出すのではなく、“待つ”ことの潔さを知る。そんな時間や感覚がいとおしく、ていねいに編みこまれた心の綾がしっくりと身になじむ。味わい深い一作だ。
石田 千 Sen Ishida
1968年、福島県生まれ、東京育ち。國學院大學文学部卒。2001年、「大踏切書店のこと」で第1回古本小説大賞を受賞。2011年『あめりかむら』、12年本作『きなりの雲』、2016年『家へ』が芥川賞候補となる。他の著書に、『きつねの遠足』『もじ笑う』『バスを待って』などがある。
(「新刊展望」2012年3月号より)