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  • 佐々涼子さんが語る『紙つなげ!』― あの日の思いを読み継ぐために

    2017年02月13日
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    日販 ほんのひきだし編集部 「新刊展望」担当
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    本に関わる「みんな」の本

    ――さまざまな反響のある『紙つなげ!』ですが、日販の方から見て、どういった感じに映っていますでしょうか。

    古幡 私たちの仕事として出版社とは日常的にお付き合いをしていて、印刷・製本ぐらいまでのところはなんとなく想像はつきましたが、その元に「紙を造る」という仕事があったのだということ。震災の時の石巻工場の惨状はネットなどでも写真が出ていて、「もう本当に出版用紙は危ないかも」という気持ちになっていたので、こういう物語で当時の様子がわかったことは印象深かったです。もっと大変な絶望から立ち上がった人たちがこんなにいるのだから、出版不況なんて軽く言ってはいけないなと。

    私もいろいろな場面で感動しましたが、そもそもこの帯の後ろの、「コロコロコミックを買いに来るお子さんのことを思い浮かべて作れ」ですでに涙が出てきてしまって、中をめくったら大変なことになるなと。私の周りでは、不用意に電車の中で開いたら大変な本、として語られています(笑)。

    売れ行きに関しては、当社ではどのような性別・年代の方が書店でその本を買っているかというデータを見ることができるのですが、『紙つなげ!』は元々ノンフィクション好きの40代から50代の男性が最も多く、次いで小説をいつも読んでいるような、本好きの方が物語のひとつとして買われているようです。東北の震災復興に関連する本と併せて読まれている方も多いですね。

    『ONE PIECE』と一緒に買っているような10代、20代の若い読者もいるという、うれしいデータもあります。その世代の方々に読んでもらえると、手触りや、ページをめくりながら読む「紙の本」の魅力が、より深く伝わるのではないでしょうか。

    ――佐々さんは、『紙つなげ!』と『エンジェルフライト』の反響の違いはありましたか。

    佐々 意外と書き手は、みなさんがどういうふうに思っていらっしゃるのかわからないんです。ただ書店さんを巡っていると、ものすごく熱くこの本を語ってくださる方が多くて感動します。印象的だったのは、この間ある書店の店長さんが、「よく書いてくださいました。作家さんを目の前にして言うのもなんですが、これはもう僕たちの本でもあるんです。だから僕は僕の本として売ります」とおっしゃられて、本当にうれしかったです。

    工場の皆さんもこの本が出来上がった時に、やはり「これは僕の本です」と、40を過ぎたおじさんが、本を胸にぎゅうっと抱きしめて、ボロボロ泣かれるんです。この本は間違いなくみなさんの本で、お手伝いできて、紙のたすきを渡せて良かったなと感じています。

     

    「当事者の声」だからこそ大事なこと

    古幡 佐々さんが石巻に入られたのは震災から2年後なんですよね。工場の方たちの話を聞いて、考え方や生き方で変わったことはありますか。

    佐々 毎回元気づけられました。これまでの作品は私の中で1本のストーリーとしてつながっています。『エンジェルフライト』の時はたくさん人の死を見て、まだ本にはなっていないのですが、その後ずっと看取りの現場を書いていて、いまも1週間に1回のペースで人が亡くなっていくのを見ています。その中で石巻に入ったのですが、石巻は再生の話ですよね。亡くなった人の弔いの話を書いて、その後亡くなりゆく人の話を聞いて、人の死を見送った人たちの立ち上がる様を書いた。

    どんなに辛くても人ってどこかで顔を上げるときがくる。そういう姿を見せていただいたことに、すごく勇気づけられました。だんだん元気になってくるのが自分でもわかるんです。

    古幡 私が最も印象に残ったのが倉田工場長です。絶望的な状態に陥った工場を、本当に復興させるのかと悩んだ時期もあったと思うのですが、社長が宣言する前の段階で、倉田工場長は独自に半年という復旧の期限を宣言している。傑出したリーダーシップを持っていて、倉田さんの話はもう少し読みたい、実際はどんな方だったのか聞いてみたいと思いました。

    佐々 倉田さんは『絶望と感動の538日』という本を自費出版されていますし、倉田さんの話はきっと世の中に出るだろうと思って今回は遠慮させていただいたんです。倉田さんは、技術屋の人たちが絶対に(設備は)直るわけないと言っているのに、「ダメってことは考えたことなかったよね」と。でも、「半年で復興できる可能性は3パーセントだったね、と後から言ってみんなに笑われた」と言ったりする。実は彼は工場再生の請負人で、旭川、白老と、本社が畳むと言った工場を立て直してきた人なんです。「神様を信じちゃおうかな」と思うくらい、倉田さんが工場長だったというのは運命としか言いようがないですね。

    古幡 ほかに心に残っているのはどなたですか。

    佐々 8号マシンのボスの憲昭さんもすごい人です。『紙つなげ』にも書いたので読んでいただければと思うのですが、もう1人、(避難所となった社宅のトイレが使用禁止となったため、空き地に)トイレを掘っていた志村さんも、この本のキーパーソンです。「この本を後世に残る本にしてくれ」と言い始めたのが彼で、歴史的にこの事実を世に出して、長いこと読み継がれることが大事なんだ」と。彼は、逃げた山の上から津波が来るのを目撃した際、「おかしくもないのに、気が付くと笑っていた」という証言をしてくれました。泣き叫んでいる人もいたけれど、まったく感情が働かなくなって、「極限状態になると人って笑うんだな」と。

    さらっと書いてあるのでそんなものかなと思われるかもしれないですが、実はとても大事なことで、真実だけれど人から少しでも誤解されたら不謹慎だと思われてしまう。そういうことをきちんと言ってくれる人だったんです。通り一遍に悲しかった、苦しかったではなく、自分の気持ちを冷静に判断して話してくれる人材が石巻工場にはたくさんいました。この本は、最初から最後まで人の証言だけでできています。私がつながなくても、彼らの話だけでつながっていった、稀有な本です。

    ――そろそろ終了時間が迫ってまいりましたので、最後に一言、まず古幡さんからお願いします。

    古幡 今回このお話を受けさせていただくにあたって、当社が具体的にどういう対応を取ったのか、改めて広報に資料を出してもらったんです。きれいに綴じられた何冊にもわたるファイルが出てきて、確かにこういうことがあったなと思い出しました。

    その後、当時東北支店長だった上司が近くにいたので、具体的にどういうことをやったのか話を聞いたんです。印象深かったのは、『紙つなげ!』の113ページに日本製紙の社長が石巻に入る時の話が書いてあって、車に食糧などと一緒に酒とタバコを積めるだけ積んだという表現があるんです。当社も似たようなことをしていて、役員がレンタカーを借りて、こういう時には酒とタバコだと、タバコがこんなに吸われなくなっている世の中なのに、たっぷり積んでいった。それが本当に喜ばれたという話を聞きました。

    そういうことは、その分厚い震災の記録や議事録には絶対書かれません。でも、大事なことってそういうことなんだなと。それが書いてあるのがこの本なのだと思いました。今回紙を造る工場の被災と復興のお話を書いていただきましたが、これが忘れられないためにも、ここからつながった紙の行方やほかの出版に携わる人々がどうだったかというところを、ぜひシリーズとして出版し続けていただきたいです。と、早川書房さんにエールを送っておしまいにしたいと思います。

    佐々 日本製紙の東京本社の方々が、地下鉄の売店で石巻が待っているんですとタバコを買い集めた話や、出版社からたくさんの支援を受けた話など、書き切れない話がたくさんありました。泣く泣く切ったところがそうだったなあと思い出しました。

    これからも、私だけでなくいろいろな方に震災復興の本を出していってもらいたいし、それが読まれる世の中であってほしいですね。「たすきをつなぐ」とさまざまな方のことを書かせていただきましたが、実はまだ本に出ていない人もたくさんいます。今回古幡さんのお話を聞いて、本がどうやって世の中に出てくるのか、「取次さんてそういうこともしてたんだ」と知ったこともあったので、(出版のたすきをつなぐ話は)まだ長く続いてほしいと思います。

    古幡 佐々さんはどこの現場に行っても大丈夫だと思います。

    佐々 肝臓を鍛えておきます(笑)。ぜひこれからも紙の本を愛していただいて、皆さんのご苦労と思いを知っていただければと思います。

    (2014.7.26)


    (「新刊展望」2014年10月号より転載)

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