'); }else{ document.write(''); } //-->
3.11の被災地で再び立ち上がる書店の姿を丹念にルポした『復興の書店』は、『ぼくもいくさに征くのだけれど』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した稲泉連さんによる、ノンフィクション作品です。
今回はそんな稲泉連さんの、書店にまつわるエッセイをお届けします。稲泉連
いないずみ・れん。1979年、東京都生まれ。早稲田大学第二文学部卒業。在学中の1998年『僕の高校中退マニュアル』で単行本デビュー。2005年『ぼくもいくさに征くのだけれど 竹内浩三の詩と死』で第36回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。著書に『仕事漂流 就職氷河期世代の「働き方」』『復興の書店』『豊田章男が愛したテストドライバー』ほか。
昨年末、都内での取材を終えて自宅に戻ると、「ちくま文庫」編集部から一冊の本が送られてきていた。
封を切って中身を取り出し、思わず頬が緩む。目に飛び込んできたのは、味わい深いイラストの表紙の『月刊佐藤純子』という本。題名にある佐藤純子さんが数年前に出版した日記エッセイ漫画の文庫版だった。
書名を見た途端、誰もが印象に残るだろう彼女の満開の笑顔が目に浮かぶ。
佐藤さんは仙台市のジュンク堂書店仙台ロフト店の元書店員だ。2014年8月の同店の閉店を機にイラストレーターになった人で、当時からいわゆる「名物書店員」の一人として知られていた。仙台での日々を何とも力の抜けたほのぼのとした絵で描いた同書は、彼女が書店員時代から自作して配っていた作品をまとめたもの。それがこの度、ちくま文庫の新刊としてあらためて書店に並ぶことになったわけだ。
私が彼女に初めて会ったのは、東北の大震災の後、『復興の書店』という本の取材で、被災地の書店を訪れていたときのことだった(その縁で文庫版の解説を書いていただいた)。そして、書店員として震災後の日々を過ごした彼女に、私は「書店」というものが街や地域の中で担っている役割を考える上で、大きなヒントをもらうことになった。
あの震災の直後、被災した書店で働く人々の多くは、「こんなときに本なんて必要とされるわけがない」と思っていたと話した。
食料品を買うためにスーパーマーケットに行列ができるのに、本を買い求める人などいるわけがない……。彼女もまた、「本屋は無力だなぁ」と感じた一人だった。
ところが、実際に彼らが目にしたのは、店の再開と同時に多くのお客が来店する様子だった。例えば大きな津波被害のあった沿岸部では、住宅や中古車の情報誌、地図、支援者への手紙を書くための「お礼状の書き方」といった実用書がよく売れた。様々な境遇や立場の人々が、町の書店を次なる行動の拠点とし、活用していく姿がそこにはあったのである。
また、都市部の仙台の書店にも、再開と同時に多くのお客の列ができた。佐藤さんの勤める仙台ロフト店が営業を再開したのは被災から約一か月後。いつも通りに本が買い求められていくのを見ながら、「何だか街の体温みたいなものが上がった気がした」と彼女は言った。とりわけ顔なじみの老夫婦から温かい声をかけられた際、書店が街の「日常」の一部を確かに担っている存在なのだ、と実感したと言う。「ありがとう」と言う機会も言われる機会も増え、徐々に本を売ることが以前と同じように楽しくなっていった、と続ける彼女の話を聞いてからというもの、私は「街に本屋さんがある風景」について考えるようになった。
例えば、ある晴れた日の午後、ふらりと馴染みの書店を訪れる。新刊コーナーを覗き、好みのジャンルの棚を見て歩く。
ある人にとってそれはジュンク堂のような大型店舗かもしれないし、別の人にとってはコミックの発売日に足早に訪れた商店街の小さな店かもしれない。いずれにせよ、商品を買っても買わなくても、そうしてゆっくりと本と戯れられる時間―以前までは当たり前だった街に書店のあるそんな日常のかけがえなさを、震災後の日々が浮かび上がらせたに違いなかった。
だから――と彼女は言った。
「あのとき、私はいつもの楽しい本屋でいたいと思ったんです。いつもの自分がいて、いつもの本が待っている。そんな『本屋のある日常』を感じさせる棚を作っていきたい」
真っ新なちくま文庫を手に取ったとき、そうした言葉が胸に甦った。そして、その言葉は私の「書店」に対する見方を、確かに変える力を持っていたのだと、いまあらためて思うのである。
【著者の新刊】
校閲がいないと、ミスが出るかも。いろんな声をつたえるのに書体は大切。もちろん紙がなければ本はできない…。校閲、書体ほか、装丁、印刷、製本など本の制作を支えるプロに話を聞きにいく。
(日販MARCより)
(「日販通信」2017年2月号「書店との出合い」より転載)