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『羊と鋼の森』で「2016年本屋大賞」を受賞した宮下奈都さん。宮下さんはその温かく優しい作風が、本読みのプロから絶賛されている注目作家です。
そんな宮下さんの最新刊『静かな雨』は、2004年に文學界新人賞の佳作に入選し、宮下さんの小説家デビュー作となった作品。刊行にあわせ、宮下さんにエッセイを寄せていただきました。
「忘れても忘れても、ふたりの世界は失われない」
新しい記憶を留めておけないこよみと、彼女の存在が全てだった行助の物語。
『羊と鋼の森』と対をなす、著者の原点にして本屋大賞受賞第一作。(文藝春秋BOOKS『静かな雨』より)
『静かな雨』にあとがきを書けないものかと考えていた。『羊と鋼の森』が本屋大賞を受賞して脚光を浴び、その受賞後第一作と銘打って刊行するなら、ひとことでいいから言葉を添えたいと思った。言葉を添えるといっては少しきれいすぎるか。説明させてほしい、あるいは、言い訳したい、という気持ちに、むしろ近かったかもしれない。
『静かな雨』は、本屋大賞受賞後第一作ではあるが、書いたのは13年も前だった。私が初めて書いて完成させ、文學界新人賞に応募して佳作に選んでもらった小説だ。ちなみに、そのときに新人賞を受賞したのがモブ・ノリオ氏の「介護入門」であり、その1作でそのまま芥川賞も受賞された。「静かな雨」はその陰でひっそりと佇んでいる感じだった。そして、それでよかった。当時、私には0歳、3歳、5歳の子供たちがいて、夫の仕事の都合で見ず知らずの土地に住み、家事と育児に孤軍奮闘していた。自分の書いた初めての小説が評価を受けることを期待していなかったし、その余裕もなかった。ただ、書いているとき、楽しかった。こんなに楽しいことがあるのかとびっくりするほど楽しかった。書きたいことは山ほどあった。書いても、書いても、あとからあとから湧いてきて、それをどうつなげていけば一篇の小説として仕上げることができるのかわからなくて悶々としていた。
その「静かな雨」を本にする。言葉を添えたくなったのは当然だと思う。13年経っている。描かれる社会の様子も変わっているし(そういえば、登場人物たちは携帯電話を使わない)、なにより、私はこの13年間で少しずつでも進化しているはずだった。一番へただった最初の小説を本にするというのは、やっぱり、迷う。小説家というのは、いつでも自分の一番いい小説を読んでもらいたい。それは一番新しいものであるはずなのだ。
久しぶりに読みなおして驚いた。へただった。へたなのに、小説として、好ましいものだった。自分でいうのはおかしいかもしれない。でも、何かを感じさせるというか、何かを考えさせるというか、思い出させるというのか、ともかく、何か心を揺さぶるものが、この第一作にはたしかに書かれていた。書きたいものがあって、書き方がわからないけれども夢中で書いた、そうしたらやっぱりこうして表れるものなのだと今さらながら思った。
登場人物はとても少ない。主人公の行助は、私であって私でない。こよみも、私であって私でない。だけど、まぎれもなく私の中の人たちだった。外の人を書こうとは思わないのは、今も変わらない。行助のお姉さんの中にも私がいて、リスのリスボンの中にも私がいた。ちょっと涙が出た。私を書くのが小説ではないかもしれないけれど、これだけ私の人生の詰まったものを書けといわれたらもう書けない。一世一代の、人生に一度しか書けない小説だったのだと思う。
ゆるされている。世界と調和している。
それがどんなに素晴らしいことか。
言葉で伝えきれないなら、音で表せるようになればいい。「才能があるから生きていくんじゃない。そんなもの、あったって、なくたって、生きていくんだ。あるのかないのかわからない、そんなものにふりまわされるのはごめんだ。もっと確かなものを、この手で探り当てていくしかない。(本文より)」
ピアノの調律に魅せられた一人の青年。
彼が調律師として、人として成長する姿を温かく静謐な筆致で綴った、祝福に満ちた長編小説。(文藝春秋BOOKS『羊と鋼の森』より)
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宮下奈都 Natsu Miyashita
1967年1月2日生まれ、福井県福井市出身。1989年上智大学文学部哲学科卒業。2004年、3人目の子どもを妊娠中の36歳の時に初めて書いた小説「静かな雨」で第98回文學界新人賞佳作に入選、デビュー。2016年『羊と鋼の森』で本屋大賞を受賞。著書に『スコーレNo.4』『よろこびの歌』『誰かが足りない』『窓の向こうのガーシュウィン』『ふたつのしるし』『たった、それだけ』『神さまたちの遊ぶ庭』などがある。