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熱い男たちを描くハードボイルドな作風で人気の柚月裕子さん。注目のミステリー作家が、仕事で追い詰められたときに手にする5冊とは。
音楽家や小説家などクリエイターと呼ばれる人たちには、「行き詰まる」「アイディアが出てこない」という苦悩が付いて回るものだと思う。
雑誌などでそのような方々のインタビュー記事を読むと、その人ならではの、アイディアを捻り出すコツのようなものが書かれていることがある。
私は2008年に「このミステリーがすごい!」大賞で作家デビューさせていただき、今現在も、必死に作家の末席にしがみついている。
自分のことをクリエイターと呼ぶのはおこがましいが、無からなにかを生み出す仕事に就いている身のひとりとして、私はどうやら、いきなりなにかがひらめく、といった能力は持ち合わせていないらしい。
これといった趣味もなく、いち日のなかで落ち着ける時間は、猫と戯れているときと、ベッドに寝っ転がってスマホで好きなゲームをしているときという、ズボラを絵にかいたような人間だ。
だが、猫を撫でていても、ゲームをしていても、当然のことながら行き詰った仕事が進むはずはない。締め切りが迫り、いよいよもってマズいと悟り、ネットやノンフィクションの本、新聞を見てネタの取っ掛かりを探すが、それで浮かべば御の字だ。大概、時間だけが過ぎていく。
二進も三進もいかない絶壁近くまで追い詰められたとき、決まって手に取る本が何冊かある。三浦綾子氏『氷点』(角川文庫)、髙樹のぶ子氏『透光の樹』(文春文庫)、吉村昭氏『破船』(新潮文庫)、北方謙三氏『逃がれの街』(集英社文庫)、小池真理子氏『冬の伽藍』(講談社文庫)の5冊だ。それを、そのときの気分で選んで読む。
これら5作を読まれた方は、ひとつの共通点があることに気づかれるだろう。すべての作品に、凍てつく冬の描写があるのだ。『氷点』は北海道を舞台に原罪を問い、『透光の樹』は北陸の地での深い性愛を描いている。『破船』は寒村の厳しさを土着的に描き、青年と少年の逃避行を主軸に据えた『逃がれの街』は、読むたびに終章の冬の軽井沢のシーンで落涙してしまう。『冬の伽藍』は冒頭から美しい冬の描写に魅せられ、ラスト1ページは、胸が痛くなるほど切なくなる。どれも、とても美しく、ひどく哀しいのだ。
この5冊を繰り返し読む理由は、純粋に作品の魅力もあるが、自分の生国と育ちによるところが大きいように思う。
10代の頃、岩手県の三陸で暮らした。楽しい思い出と辛い記憶、どちらかといえば後者のほうが多かった。三陸の冬は晴れの日が多い。雪はほとんど降らず、降っても路面を薄っすらと覆うくらいだ。その代わりすごく冷える。早朝や夜はマイナス十数度まで下がり、吐く息が白くなる。空気は塵芥などひとつもないほど澄み渡り、夜には満天の星がよく見える。
嫌なことがあると家を出て、ぼんやりと夜道を歩いた。行く当てなどない。吐く息は白く、街灯の灯りが反射して、細かく切った銀糸が散りばめられたようにあたりに舞った。その現象があまりにきれいで、何度も息を吸っては大きく吐いた。そうしているうちに、乱れていた気持ちは次第に鎮まっていった。
これらの小説を読んでいると、あれほど嫌だった「小説を書く」という営為に、抵抗がなくなってくる。きっと、あてもなく夜道を歩きながら、ああだったらいいのに、こうだったらいいのに、と空想に耽っていた、想像する原点を思い出すからかもしれない。
これら5冊の文庫本は、すぐ手に取れるよう仕事机の上に置いている。ただひたすら想像することで救われていたあの頃に、いつでも戻れるためだ。そして、今日もパソコンに向かう。
柚月裕子 Yuko Yuzuki
1968年、岩手県生まれ。山形県在住。2008年、『臨床真理』で第7回「このミステリーがすごい!」大賞を受賞し、デビュー。2013年『検事の本懐』で第15回大藪春彦賞を受賞。他の著書に『あしたの君へ』『蟻の菜園』『孤狼の血』『ウツボカズラの甘い息』『朽ちないサクラ』などがある。
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・「別世界へいざなう羅針盤」 柚月裕子さんが綴る、故郷の小さな書店の思い出
(「新刊展望」2016年12月号より転載)