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本や雑誌の売り上げが伸びず、冬の時代が続く出版界だが、厳しい状況は他のメディアも同様らしい。佐藤多佳子の『明るい夜に出かけて』では、かつて一世を風靡した深夜放送の世界が重要な背景となる。しかし21世紀の今、ラジオの世界もまた順風満帆とはいえないようだ。
主人公の富山は、あるトラブルで心に傷を負い、大学生活から期間限定でドロップアウトしている青年である。深夜のコンビニで働き、人目を忍ぶように細々と暮らす彼の前に、ある晩風変わりな女子高生が現れた。彼女は、主人公が唯一の拠り所にしている深夜番組への常連投稿者だった。
作者らしい饒舌から浮き彫りになるのは、他者との距離感を摑むのが苦手な現代の若者像である。その一人である主人公が社会復帰のきっかけを摑むまでの再生の物語だが、少女や彼の友人、職場の同僚らを巻き込んで、温かな人間模様が織りなされていく。ある番組の打ち切りをめぐる終盤のスリリングな展開も、群像劇のクライマックスを盛り上げている。
刊行時に佐藤多佳子さんに寄せていただいたエッセイを公開しています!
・『一瞬の風になれ』の佐藤多佳子さん最新作!深夜ラジオが舞台の青春小説『明るい夜に出かけて』
夏休みに、交通事故で橋から湖に転落。命は助かったものの、記憶喪失に陥った高2男子が新学期を迎えるところから始まるのが、額賀澪の『君はレフティ』だ。不安だらけの彼を、写真部の仲間やクラスメートは優しく迎え入れるが、行く先々で奇妙な事件が起きる。さまざまな場面で繰り返される謎の数字の落書きは、主人公に何を伝えようとしているのか?
ミステリでいう日常の謎風に始まる物語は、やがて主人公らの切実な思いが交錯する青春小説の色合いを増しながら、ピュアな恋愛小説にシンクロしていく。記憶喪失をテーマにしたフィクションは少なくないが、左利き=少数派というモチーフに導かれ、思いもかけなかった場所に読者を連れ去る展開は新鮮。生徒たちのいきいきとした会話や学園祭の模様の楽しさに、10代を瑞々しく描く作者の持ち味が存分に発揮されている。
森見登美彦が、デビュー10年目の節目に手掛けてきた『夜行』がやっと完成をみた。タイトルは“夜行列車”と“百鬼夜行”の双方に掛けられているそうで、なるほど夜汽車から連想される抒情味と、怪異現象の奇っ怪さの双方を兼ね備えている。仲間と連れ立って出かけた鞍馬の火祭りの夜に、彼女は忽然と消えた。それから10年後、かつて学生時代を京都で過ごした5人が再び集まり、今もわだかまりを残す記憶に導かれるように、それぞれの思い出話を始める。
尾道、奥飛騨、津軽、天竜峡、鞍馬と、読者を道連れに語られていく旅の物語はオムニバス形式だが、一編一編が独立した怪談仕立てになっている。百物語よろしく、すべてのエピソードを語り終えるや、写真のネガとポジの関係に似た双面の物語世界が立ち上がってくる。ファンタスティックな世界観を描き続ける作者のマイルストンと呼ぶにふさわしい作品だろう。
トリッキーな語り口を自家薬籠中のものとする辻原登にとって、近作の『冬の旅』や『寂しい丘で狩りをする』は、いずれ行き着く地点だったかもしれない。しかし、新作の『籠の鸚鵡』は、ミステリでいう犯罪小説やノワールとは、やや肌合いが異なるようだ。そこには、80年代バブル期の一時代を切り取ったような、噎(む)せんばかりの濃密な空気が充満している。
町役場の出納室長は、ひょんなことから和歌山市内のバーで美人局の罠に落ちる。しかし相手のママもまた、ヤクザものから不動産屋の夫との仲を引き裂かれた過去があった。折しも勃発した山口組と一和会の抗争が、彼らの運命の歯車を大きく狂わせていく。欲望に踊らされ、詐欺、横領、殺人といった犯罪に駆りたてられる愚かさを嗤う。人間の性をさらけ出す、リアルな犯罪文学がここにある。
(「新刊展望」2016年12月号 「おもしろ本スクランブル」より転載)