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読者の秋、ブランデーを傾けながら良質なミステリーを読んでいると「うつし世はゆめ、夜の夢こそまこと」といった江戸川乱歩の気持がよくわかる。現実を忘れるわけにはいかないが、灯下にしばし物語の夢とたわむれるぐらいの贅沢は許されていいだろう。
雫井脩介の『望み』は、最近頻発する少年事件を「家族とは何か」という視点から描いた心理サスペンスの秀作である。
石川一登は東京郊外のベッドタウンで個人住宅を中心にした建築デザインの事務所を持っている。同じ敷地内の自宅で校正の仕事をしている妻貴代美との間に高校生の息子・規士(ただし)と中学生の娘・雅(みやび)がいる。平凡で平和な家庭のはずだったのだが、怪我をして部活をやめた規士が素行不良の友達と付き合い、無断外泊をするようになる。
やがて規士の友人が殺されるという事件が起きる。2人は逃げ、あとの3人は行方がわからない。規士は犯人なのか、それとも被害者なのか。無実を願う父親と、たとえ犯人であっても生きていてほしいと祈る母の思いが交錯する家族の修羅を、作者は丁寧な筆致で、だが圧倒的な臨場感をもって描き出す。この作品は『犯人に告ぐ』『クローズド・ノート』に続く雫井の代表作となるだろう。
柳井政和の『裏切りのプログラム』は、個性的なハッカー探偵の活躍を描く社会派情報ミステリーの快作である。
安藤裕美はプログラマーの転職を斡旋するベンチャー企業を立ち上げた。ようやく軌道に乗ったところで、自社が送り込んだプログラマーが企業データを暗号化して姿を消し、「身代金」7千万円を要求するという事件が起きる。タイムリミットは2日間、人質は5万人分の投薬データ。出資者の女性から調査の補佐役として紹介された鹿敷堂(かしきどう)桂馬という青年は、いかにもやる気のなさそうなコンピューターおたくに見えたが、意外にも有能なハッカー探偵だった。業界の内情をさらりと描いて情報化社会の怖さを思い知らしめる語り口はただものではない。また1人、楽しみな新人作家が登場した。
今野敏の『去就』は「隠蔽捜査」シリーズの第6作である。
大森署管内で女性が連れ去られ、その同伴者が殺された。新任の方面本部長との対立が深まるなか、竜崎の家庭でも娘のストーカー騒ぎが持ち上がる。公私ともに追い詰められた竜崎は、みずから現場に出動して処分覚悟の決断を下す。キャリアの警視長でありながら訳あって所轄の署長になった主人公の性格設定がよく生かされていて、今回も最後まで一気に読ませる。
アンデシュ・ルースルンド&ステファン・トゥンベリの『熊と踊れ(上・下)』(ヘレンハルメ美穂・羽根由訳)は、スウェーデンで実際にあった連続銀行強盗事件に取材した犯罪小説の力作で、ハヤカワ・ミステリ文庫創刊40周年記念作品である。
家庭内暴力が吹き荒れる過酷な環境で育ったレオ、フェリックス、ヴィンセントの3兄弟は、狂暴な父と別れて犯罪者への道を歩む。軍の武器庫から銃を盗み、知略を尽くして次々に銀行を襲撃する。読み進めていくうちに、作者が描こうとしたのは犯罪そのものではなく、前記の『望み』と同じ「家族」なのだということがわかる。
ジョー・ネスボの『ザ・サン 罪の息子(上・下)』(戸田裕之訳)も「家族」をテーマにした北欧ミステリーである。拳銃自殺した父の死の真相を知ったサニーは、警戒厳重な刑務所から脱走し、父を陥れ自分を騙した者たちを次々に殺していく。オスロ警察のベテラン警部が、犯罪組織に追われるサニーの行方を追って奔走する。
以上5冊、灯下に親しんで悔いなきおもしろ本である。
(「新刊展望」2016年10月号 「おもしろ本スクランブル」より転載)