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伝統や常識にとらわれまいと足掻く若き絵師の成長を描いたデビュー作『洛中洛外画狂伝 狩野永徳』や、江戸の出版プロデューサー・蔦屋重三郎を描いた長編『蔦屋』で話題になり、8月17日には書き下ろし長編『信長さまはもういない』が発売されたばかりの谷津矢車さん。時代小説界の若きエースはどんな本を読んでいるのでしょうか? 人気ゲームアプリ「ポケモンGO」から、意外な読書ライフが広がります。
巷ではポケモンGOが流行っているようです(2016年8月3日現在)。かくいうわたしも導入し、いい歳して何やってるんだ、という嫁の白い眼をかいくぐりながらプレイしています。面白いですねえ。見慣れた風景の中に、ゲーム画面の向こうにしかいないはずのポケモンたちがいるという光景。16年余りを経て、ようやく世界はマンガなどで描かれてきた「科学の21世紀」に手が届いたようです。
と、ここでふと疑問。
ポケモンって、もしかして外来種なんじゃないの? だとしたら、なんか対策が必要なんじゃない? この前テレビでも、日本の固有種を外来種が食い散らかしているという報道を見かけました。
と、ゲーム脳丸出しで手に取ったのが『外来種は本当に悪者か?』(フレッド・ピアス/草思社)。著名な科学ジャーナリストが、環境保護の観点からは槍玉に挙げられがちな外来種の実際について追いかけた読み物です。なるほど、外来種の締め出しと排除にばかり血道を上げる従来のやり方は、あまりいい手ではないわけか。むしろ外来種は人類が自然破壊をしてしまった後に生じた生態系の“隙間”で栄える場合が多いのか。じゃあ、ポケモンもきっと在来種と仲良くできるはず。
けれど、疑問は尽きません。
ポケモンGOでポケモンを捕まえる行為は「狩り」とも称されるのですが、なんか罪悪感が湧くんだよなあ、と。
そこで手に取ったのが『狩猟家族』(篠原悠希/光文社)。ニュージーランドにお住まいの著者による現代狩猟小説です。旦那さんや娘さんが筋金入りのハンターだという篠原さんが描き出す狩猟の世界は、普段自然に触れることのないわたしたちのルールから隔絶しています。わたしたちがつい可愛いと黄色い声を上げてしまうウサギなどはかの地では害獣ですし、狩猟のために飼っている犬に対する思いもまた、わたしたちの抱いている犬に対するそれとは異なります。いうなれば、命の捉え方が違う。命の重さも違う。どうやら、猟銃の照準器を通じて見える世界は、わたしたちの世界とはちょっと違うルールで動いているようだ、というリアルがわかる小説です。
そうか、ポケモン狩りはわたしたちの普段接しているルールとはちょっと違うルールが適用されているのか! なら安心してプレイできそうです。
けれど、さらに疑問が頭をもたげます。
ポケモンGOをはじめとしたコンピュータ廻りの技術が発達しているけど、なんか不安だなあ。
藁にもすがる気持ちで手に取ったのが、『人工知能は人間を超えるか』(松尾豊/角川EPUB選書)。わたしはド文系なので正直本書の言わんとすることを全部理解できたかというとかなり怪しいのですが、どうやらこのまま道を間違えずに人工知能が発達すれば、わたしたちの生活はとんでもない勢いで変化するようです。今、ポケモンはスマホ画面の中にしかいませんが、もしかしたらそのうちSFみたいにホログラム映像のポケモンをホログラムのアイテムでゲットするというゲームが登場することになるのかもしれません。
こうやって出てくる疑問に向き合っているうちに、あらやだこんな時間。そろそろ夕飯を作らなくっちゃなあと独り言ちながら、わたしはスマホをスリープさせて本を閉じたのでした。
谷津矢車 Yaguruma Yatsu
1986年生まれ。第18回歴史群像大賞優秀賞を受賞し、『洛中洛外画狂伝 狩野永徳』でデビュー。長編第2作の『蔦屋』でも高い評価を受ける時代小説界の若きエース。歴史小説を中心に執筆、演劇の原案なども提供する。著書に『しゃらくせえ鼠小僧伝』『三人孫市』『曽呂利! 秀吉を手玉に取った男』『てのひら』などがある。
信長亡き後、喪失感にさいなまれる池田恒興。乳兄弟でもあり、最も古い家臣として彼の背中だけを見つめてきた。信長が遺した秘伝書は、苦境の度に恒興を救ってくれたが……。時代小説界の若き新星が、トップに仕える男の苦悩と葛藤を描く。
(「新刊展望」2016年10月号より転載)