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こうあるべき、という「正しさ」が呪いになる──
痛みや事情を抱えた人の思いをこまやかにすくいあげた、寺地はるなの「読むデトックス」の真骨頂。
寺地はるなの小説を読むといつも、「当たり前」の危うさに気付かされる。自分が「普通」と思っていたものが、どれだけ狭い知見の中で勝手に編み出した楼閣であったかが炙り出される。だからとても痛い。痛いはずなのだけれど、同時にとても心地よい。それは鋭いテーマを優しさでくるんで差し出してくれるからだろう。
新刊『川のほとりに立つ者は』もまた、そんな痛みと心地よさに満ちた物語である。
カフェの店長を務める29歳の原田清瀬は、ある日、突然病院からの電話を受ける。恋人の松木圭太が大ケガをして意識不明だというのだ。圭太は小学校時代からの友人・岩井樹と一緒に歩道橋から転落したという。ケンカをしていたようだとの目撃情報もあった。
しかし清瀬と圭太は数ヶ月前にケンカをして以来、連絡を絶っていた。しかもそのケンカは圭太が清瀬に頑なに隠し事をしていたのが理由。離れていた数ヶ月の間に、いったい彼に何があったのか。圭太の部屋を久しぶりに訪れた清瀬は、そこで3冊のノートを見つける。そこには圭太が隠したかった「真実」が書かれていて……。
と、導入部をまとめてはみたものの、これでは何も語っていないに等しいと反省している。寺地作品は細部が大事なのだ。たとえばカフェの店員が「使えない」女性で清瀬に皺寄せがくること。それを圭太に愚痴ると意外にも店員の肩を持ったこと。圭太の家にあった文庫本。圭太と同じく意識不明になっている樹の恋人が、どこかずれた感じの人だったこと。さまざまな違和感が少しずつ積み重なり、それが3冊のノートが示す「真実」へとつながっていく。
物語の大事なキーワードを隠しているので、どうしても持って回った表現になることをご容赦願いたい。これは想像力の物語なのだ。何かを見て「普通じゃない」と思うのは、自分の中で勝手に決めた「普通」に合っていないだけであり、「普通じゃない」人にはそれぞれ事情や背景がある。それを斟酌せず、たまたま安全で恵まれた場所にいる人が「普通」を判断することの愚かしさと危うさが浮き彫りになる。そんな例を、本書はいくつものエピソードとともに次々と描き出す。
自分を「ちゃんとしている」と思っている人、他者に対して「ちゃんとして」と思いがちな人にこそ、本書を読んでほしい。それはあなたの目を曇らせる呪いになってはいないだろうか。
「小説推理」(双葉社)2022年12月号「BOOK REVIEW 双葉社 注目の新刊」より転載