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〈門井慶喜さんの『シュンスケ!』文庫版がこのほど発売されました。単行本刊行時(2013年3月)に寄せていただいたエッセイを再掲載します。〉
幕末の長州藩志士、伊藤俊輔(いとうしゅんすけ)は、これまでろくな扱いを受けてこなかった。
農民あがりの無教養なやつ。松下村塾のおちこぼれ。しょせんは高杉晋作や桂小五郎らの使いっ走りにすぎないくせに、明治以後、伊藤博文(ひろぶみ)などと改名して分不相応な出世をして、ついには初代内閣総理大臣にまでなってしまった。あの二流の志士が。うんぬん。
――ちがうんだなあ。
という素朴な違和感から、私は歴史小説『シュンスケ!』を書いた。しかしここでは彼の事績をこまかに述べることはやめておこう。ただ彼の人物を紹介したい。とにかくおもしろい若者なのだ。
イギリス、フランス、アメリカ、オランダによるいわゆる四か国艦隊下関砲撃事件のあと、伊藤俊輔は、長州側の講和使・高杉晋作の通訳としてイギリス艦におもむくことになった。そのとき田北太仲(たぎたたちゅう)という上役にむかって、
「殿様の名代として交渉に行くのに、わしの太刀は貧相じゃ。お借りしたい」
田北はこのとき赤間関都合役(あかまがせきつごうやく…密貿易取締官)、いっぽうの俊輔はいまだ正式な藩士ですらないのだから、これはたいへんなずうずうしさと言わざるを得ない。しかしさらにずうずうしいのは、談判後、イギリス艦から降りてくると、俊輔の腰から太刀が消えていたことだった。どうしたのだと田北が聞くと、けろっとして、
「艦長がほしそうな顔をしていたので、くれてやりました。堪忍してください」
田北はあきれてものも言えなかったという。
そのイギリス人相手の交渉にしても、俊輔の英語はどうやら度胸英語だったらしい。これは明治以後の話だけれども、俊輔は、
「欧州列強国(ユーロピアン・パワーズ)は……」
と言うつもりで何度もユーロピアン・パウエルとやってしまった。発音のまちがいを相手に指摘されるや、俊輔、ぬけぬけと、
「そうだ、そのパワーだ。ついオランダ語が出てしまった」
もともとオランダ語なんぞ知りはしないのだ。駐日書記官ミットフォードは、俊輔のことを「冒険好き」で「無類に陽気」、いかにも「天稟の高鳴りする人物」だったと回想している。満腔の好意というべきだろう。伊藤俊輔とは、こういう愛嬌あふれる人物だった。
長州藩は、なぜ徳川幕府をたおし得たのか。
理由はいろいろ考えられるが、ひとつには、イギリスという当時の世界最強国を味方につけたのが大きかったろう。最新式の銃砲をたくさん売ってもらったり、幕閣内部の重要情報をこっそり横流ししてもらったりが効いたのだ。
だとしたら、長州藩の偉業のかなりの部分は、じつは伊藤俊輔に負うている。二流だなんてとんでもない。高杉晋作も、桂小五郎も、むしろ俊輔に助けられてはじめて強烈に個性をかがやかすことができたのだ。
歴史は書斎じゃない、現場でつくられる。あとは『シュンスケ!』本文で。
門井慶喜 Yoshinobu Kadoi
1971年群馬県生まれ。同志社大学文学部卒(文化史学専攻)。2003年「キッドナッパーズ」で第42回オール讀物推理小説新人賞を受賞。2016年 『マジカル・ヒストリー・ツアー ミステリと美術で読む近代』で第69回日本推理作家協会賞(評論その他の部門)受賞。近著に『家康、江戸を建てる』(第155回直木賞候補)、『新選組颯爽録』、『東京帝大叡古教授』(第153回直木賞候補)、『注文の多い美術館』ほか。
(「新刊展望」2013年5月号より)
・〈インタビュー〉門井慶喜さん 第153回直木賞候補作『東京帝大叡古教授』 “いま”を刺激する歴史ミステリーのおもしろさ
・3児の父、門井慶喜さんに質問「子供に本を読ませるには、どうしたらいいですか?」