• fluct

  • 『くまとやまねこ』から14年。いのちへの思いから生まれた絵本『橋の上で』湯本香樹実さんインタビュー

    2022年10月07日
    楽しむ
    ほんのひきだし編集部 猪越
    Pocket

    湯本香樹実さん、酒井駒子さんのタッグによって、2008年に刊行された絵本『くまとやまねこ』。第40回講談社出版文化賞絵本賞など数々の賞を受賞し、累計20万部を超えるベストセラーとなっています。そんな同作への反響をもとに生み出されたのが、9月15日(木)に発売された『橋の上で』です。

    やるせない思いを抱える少年を救った、ある一つの出会い――。願いを込めて生まれた新たないのちの物語はどのようにして描かれたのか、湯本香樹実さんにお話をうかがいました。

    写真:中道 智大

    湯本香樹実
    ゆもと・かずみ。1959年東京都生まれ。作家。
    1993年『夏の庭 ―The Friends―』で、日本児童文学者協会新人賞、児童文芸新人賞を受賞。本作品は10か国以上で翻訳され、ボストン・グローブ=ホーン・ブック賞、ミルドレッド・バチェルダー賞などを受賞。2009年『くまとやまねこ』(絵:酒井駒子)で講談社出版文化賞 絵本賞を受賞。同作品はフランスやパレスチナなど、10の国と地域で翻訳される。
    ほかの作品に、小説『春のオルガン』『ポプラの秋』『西日の町』『岸辺の旅』『夜の木の下で』、絵本『おとうさんは、いま』(絵:ささめやゆき)、『あなたがおとなになったとき』(絵:はたこうしろう)、童話『くまって、いいにおい』(絵:ほりかわりまこ)など。絵本の翻訳も手がける。

    橋の上で
    著者:湯本香樹実 酒井駒子
    発売日:2022年09月
    発行所:河出書房新社
    価格:1,650円(税込)
    ISBNコード:9784309292083

    「耳をぎゅうっとふさいでごらん」
    学校帰り、ぼくはひとりで川の水を見ていた。
    そこに雪柄のセーターのおじさんがあらわれて、
    ふしぎなことをおしえてくれた……

    〈河出書房新社『橋の上で』特集ページより〉

     

    言葉が養う「つらいときに本当に役に立つもの」

    ――『橋の上で』は『くまとやまねこ』に寄せられた、読者からの声に応える形で生まれたそうですね。

    湯本 『くまとやまねこ』の刊行後、たくさんの方からお手紙をいただきました。その中には、仲良しの小鳥の死によって心を閉ざしてしまったくまと同じような状況にある方や、その人たちの力になりたいという方からのものもありました。

    くまはある日、いいお天気につられて外に出たことで、やまねこと出会います。くまを導き、その心を支えたのは、小鳥との豊かな時間の記憶であり、くまが悲しみの中にあっても自分自身の心を信頼したからです。寄せられたお手紙を読むうちに、そのくまの心について書きたいという気持ちになりました。

    つらい、ぎりぎりの状態にあるときに言葉は役に立たないという考え方もあるかもしれませんが、そのつらいときに「本当に役に立つもの」を養うのが何かといえば、やはり言葉の力は大きいと思うのです。そのことについても表してみたいと思いました。

    くまとやまねこ
    著者:湯本香樹実 酒井駒子
    発売日:2008年04月
    発行所:河出書房新社
    価格:1,430円(税込)
    ISBNコード:9784309270074

    だって、ぼくたちは ずっとずっといっしょなんだ――友だちをなくし哀しみに閉じこもるくま。だが花咲く時は訪れて……

    〈河出書房新社 公式サイト『くまとやまねこ』より〉

     

    日々を重ねるための、簡単で信頼できる方法

    ――本作は、1人の少年が橋の上で川を見ているシーンから始まりますが、全体を通して「水」や「みずうみ」がキーワードになっていますね。

    湯本 それは、自分の個人的な経験からきているのだと思います。まず、私自身が子ども時代、主人公と同じように、今ここから自分を消してしまいたいという気持ちで橋の上から川を見ていたことがありました。

    子どもは特に、悪意や暴力を向けられたり大人から理不尽に叱責されたりすると、そらすことなく全身で受け止めてしまう。それをきっかけに命が失われるようなことは絶対になくなってほしいという思いがありました。

    2000年前後からは自殺者の多い傾向が続いていたこともあり、自分にとっては避けることのできないテーマだという気持ちが徐々に募りました。でもどう表現したら伝わるのかを考えることに時間がかかってしまって……結局、自分の経験した心の道筋を、飾らずに表現するしかないと思い至りました。そこで「橋の上で川の流れを見ている子ども」から始めようと決めたんです。決めてからは、それが揺らぐことはなかったです。

    ――そのモチーフが浮かんできたのはどのくらい前なのですか?

    湯本 最初の原稿を編集者にお渡しして、酒井さんに本作のお願いをしたのが6、7年前です。それまでに3、4年自分の中で抱えていましたので、結構かかってしまいました。

    ――本作で少年を導くのは、橋の上で出会った「雪柄のセーターを着たおじさん」です。おじさんは、少年に「耳をぎゅうっとふさいでごらん」と話しかけます。

    湯本 私自身、このおじさんが教えてくれたようなことを子どものとき、寝る前によくしていたのです。そうすると、ざわめいた心がだんだんしずまって、見えてくる自分だけの風景がありました。そのイメージの中にスーッと入っていくことで、寝付くことができました。

    嫌なことがあっても一晩休んで、朝が来たら少し気持ちが変わっているかもしれない。そうやって毎日を積み重ねていくことが、大事ではないかと思うのです。今も、方法は違いますが、同じようなことをする時があります。

    「耳をふさぐ」というのは自分だけでできる簡単なことだけれど、私にとっては信頼できる、気持ちを切り替える方法のひとつでした。その人それぞれの、自分なりの方法を見つけるきっかけになってくれれば、と思います。

     

    共作することの驚きと喜び

    ――それは、子どものころにご自身で見つけられた方法なのですか?

    湯本 そうですね。実はほかにもいろいろなパターンがあります。これは本作で書いてしまったので自分だけのものではなくなった感がありますが、まだほかの方法があるので大丈夫です(笑)。

    それだけにすごく個人的なことを書いている感じもあって、読む人に伝わるのかなという不安はありました。

    ――本作は『くまとやまねこ』以来、14年ぶりに酒井さんとタッグを組まれた作品です。絵を担当された酒井さんも本作の刊行に際し、「初めてこの本のテキストを読んだ時、自分の小学生の頃を思い出しました」というメッセージを寄せられていますね。絵本としてテキストを書かれるときと、お一人で小説を書かれるときと、創作上の違いはありますか?

    湯本 『くまとやまねこ』がきっかけになってくれたこともあるかもしれませんが、初めの1行を書いたときから、詩でも小説でもなく、絵本をつくろうと思っていました。

    あたりまえのことかもしれませんが、文章を書くときは言葉だけで書いているわけではなくて、表しているものを絵として頭に浮かべて書いています。

    小説の場合は、その情景を思い浮かべていますが、絵本の場合は、情景と同時に絵本になったかたちを思い浮かべているんです。もちろんそれはあくまでもダミーであって、酒井さんが描かれた完成形とは比較にならないほど稚拙なものですが、どこでページをめくるかを私なりに考えたりすることが、文章を進めてくれます。

    それを酒井さんが、こうして斜め上どころではない、まったく別次元の形に持っていってくださることに驚きと喜びを感じます。自分以外の方とひとつのものを作る醍醐味ですね。

    ――『くまとやまねこ』のときにはお二人でやりとりをしてブラッシュアップされた箇所があったとのことですが、今回はいかがでしたか?

    湯本 ご一緒するのが2回目ということもあって、『くまとやまねこ』以上にそういう機会がありました。私がどう表現したらより伝わるのだろうとじたばたしてしまい、もっと文字数の多い案などもお送りしたのですが、結局は一番シンプルな形になったかなと感じています。

    でもそのやりとりが無駄だったとは思っていないんです。具体的には私だけの秘密ですけれど、絵の中に、最終的には削ったテキストの情報が少しだけ反映されているのではないかなと思うところがあるんです。酒井さんがそういうやりとりを厭わずにしてくださる中で、このテキストを信じて、深く考えてくださっているという信頼を感じられて、書いたことへの責任を改めて感じたこともありました。

     

    心と体はつながっている。その内側をのぞき込む

    ――絵本の形になって、湯本さんにとって特に印象的だったページはありますか?

    湯本 敢えて一つあげるなら、主人公が家に帰ってきてドアを開けたシーンですね。夕闇が迫る中、とりあえず安全な家に帰ってきたけれど、彼は完全に安心したわけではない表情をしています。この家の子どもというだけでない、自分だけの世界が彼の中に生まれはじめていることが感じられて、子どものころの心の風景が、つい昨日のことのようによみがえりました。

    ――何かをきっかけに浮かび上がってくるそうした“思い出”は、耳をふさいだときに自分の体の中から聞こえる音と相まって、心を支える記憶というだけではない、血肉になっているのだなと感じました。

    湯本 心とか精神というと、体と切り離した特別な部屋の中にあるようなイメージがありますけれど、私は体も含めて一つの自分だと思っています。体と心はつながっていて、会話しあっている。考える以上に密に行き来があるという感覚ですね。

    耳をふさぐほかにも、私は呼吸を数えたり、夜寝るときに体が布団に触れているところから何かが流れ込んでくるようなイメージを持ったりします。どれもすごくささやかなことですが、そういうふうに体を経由することでその存在が感じられて、内側をのぞき込む、ひとつのきっかけになるのではないでしょうか。

    ――本作には「からだじゅう すみずみまで、くまなくめぐる。」というフレーズもありますが、まさに「水」だからこそ行き渡る感じがありました。

    湯本 そんな柔らかさを感じていただければ、嬉しいですね。

    そして、本作では誰の中にも「その人だけのみずうみがある」というイメージを書いているのですが、そのもととなるのはやはり人や本から得た言葉だと思っています。

    子どもの頃の私が想像していたみずうみにしても、当時の自分がそういう場所に行ったことがあったかというと、現実にはないんです。本の中で見た景色や文章、実際に行ったことがある人から聞いた話など、さまざまな言葉やイメージが自分の中で積み重なって出来上がった情景です。想像力は何もないところから生まれるわけではなく、他者のいる外側からもたらされる。だからこそ、深くその世界に入っていけるのだと感じています。

    ――自分の中に深く潜って、自分だけの水辺に思いを馳せることが、凝り固まった心身を自由に解き放ってくれるようです。

    湯本 その自由さの元となる、栄養を与えてくれるもののひとつに、この本もなってくれたらいいですね。

    おじさんのように、傷ついている子どもに気がついて、声をかける大人がいることはすごく重要だと思います。でも直接言葉を交わさなくても、読んだ本や誰かのちょっとした言葉などの集積が力になる。絵本の中のおじさんは、それらの象徴でもあるんです。

    いまつらい思いをしている子どもにも、かつてつらい思いをした子どもだった人にも、眠れない夜を一つ一つ越えて新しい朝を重ねていってほしい──心からそう願っています。

    ――大切な人の言葉や思いが、明日を生きていく力になる。その温かさは『くまとやまねこ』にも通じるお話ですね。ぜひ2冊あわせて味わっていただければと思います。本日はありがとうございました。




    タグ
    Pocket

  • GoogleAd:SP記事下

  • GoogleAd:007

  • ページの先頭に戻る