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その日、私はある文庫解説を書いていた。この作品は大地震の被災地がどのような歴史を辿ったかを描いていた。手元には地元新聞社が発行した震災後の写真集があり、山脈全体が撹拌されたような航空写真に圧倒されていた。
まさにその解説を書き終わろうとしたとき、私の携帯が緊急地震速報のブザーを鳴り響かせた。熊本で震度7の地震があったという。翌朝の報道で、山の様子が昨日見た写真とそっくりだということを知る。そして九州の地震は、現在でも収まる気配がみえない。
1か月前、東日本大震災から5年が過ぎたばかりだというのに、また日本は大震災に襲われた。被災者の気持ちを慮ると、胸が苦しくなる。だが経験は人を強くし賢くする。この国では、その知恵を生かして生きていかなければならないのだ。
『震災編集者』は東日本大震災から5年間のクロニクルとして、大きな意味を持つ本である。著者の土方正志は仙台にある出版社「荒蝦夷」の社長。東北の民俗学や文化の発信元として堅実な活動を続けてきた。以前は取材者として各地の大災害現場を歩いてきた猛者でもある。
家族は無事だったものの激震は自宅マンションを全壊させ、事務所もめちゃくちゃ。気仙沼出身のアルバイト女性の父親は津波に流され、後に遺体で発見された。
著者は取材者になることを強く要請される。だが今回ばかりは気力が湧かない。それを奮い立たせたのは「被災者からの発信の必要性」だった。地元に根差した小出版社ができること、それは震災後の日常、体験を本にして後世に残すことだ。彼の書く物、作る本は震災後の民俗学になっていく。
「復興」ではなく「再興」が求められている。元に戻すのではなくすべてを新しく作り上げる。その意欲に読み手側が力づけられた1冊だ。
『16歳の語り部』の著者たちは震災が起こったとき、まだ小学5年生だった。でもこの年頃は子どもから大人になりかけている時期に当たる。だから語り部のひとり、雁部那由多は言う。
「僕より下の代、特に低学年だった子どもたちは、当時の記憶もだいぶ薄れています。(中略)僕たちの世代こそが、あの体験を自分の言葉で語れる最後の世代だと思います。」
津波で家を流された者、ペットが行方不明になった者、多くの遺体を見た者。だがまだ学校に来られない子もいるから、と教師から語ることを禁じられ、それがいつの間にかルールとなった。
だが転機が訪れる。大阪から被災地見学に来る中学生のために、体験談を語ってほしいと頼まれたのだ。封印していた思いを解き放ち、彼らの心は解放される。子どもの視点から語ることは、大人には想像もつかないことがある。この体験談も貴重である。
日本の地震被害のなかで一番大きかったのは関東大震災と言われている。死亡者・行方不明者は10万人以上。東京では火災の犠牲になった人が多かったと聞く。
横浜の被害も大きかった。刑務所も全壊し、火の手から逃れられないと覚悟した当時の典獄(刑務所長)椎名通蔵は囚人の解放を決意した。法律上でも認められている、江戸時代で言う「解き放ち」である。24時間後の帰還を命じ、囚人服のまま自由の身となった。
坂本敏夫『典獄と934人のメロス』は歴史に埋もれていた関東大震災の事実を丁寧に掘り起こしていく。大混乱のさなか、時の政府がどのように動いたか、被災者はどうしていたか、この囚人たちのその後は、と興味は尽きない。著者の30年にわたる詳細な調査の結果、抹殺された衝撃の歴史に突き当たる。心血を注いだ傑作である。
(「新刊展望」2016年6月号「おもしろ本スクランブル」より転載)