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伊坂幸太郎さん、道尾秀介さん、米澤穂信さんなど、名だたるミステリ作家を担当してきた、新潮社の文芸第二編集部編集長である新井久幸さん。読み手と書き手を知り尽くした新井さんによる、『書きたい人のためのミステリ入門』が12月17日(木)に発売されます。
「読むほどにミステリの基礎体力が身につく入門書」と銘打たれた本書ですが、ここでは新井さんの“基礎体力”を培った出会いについて、エッセイを寄せていただきました。
若い日にはありがちなことだが、根拠のない自信にだけは満ちていて、明らかに勉強不足なのに受かる気満々だった大学は、見事に全部落ちた。1年間の浪人の後、なんとか志望校に入ることが出来て、下宿先を探しに京都へ向かった。僕が受けた学部は合格発表が遅かったから、条件のいい部屋は既に埋まっていて、色々と探し回ってようやく行き当たったのは、大学からはちょっと離れた下宿街のアパートだった。
入学手続きの帰り、校内をふらふら歩いていると、校庭の端っこに、大きく「推理小説研究会」と書かれたドアがあるのが見えた。高校時代、エラリー・クイーンが大好きだった僕は、入学後しばらくして、そのドアを叩いてみた。
ボックス(部室のこと)にいた先輩達は歓迎してくれたが、「どんな本が好きなん?」「クイーンファンか。なら、○○は?」と、次々と繰り出される固有名詞のほとんどは、まったく読んだこともなければ、聞いたこともない。いっぱしのマニア気取りだった僕は、「ああ、自分はビギナーなんだな」と思い知らされた。
物で溢れたその部屋は、ミステリに限らず膨大な読書量と知識を持つ化物のような人達でひしめいていて、ここでの経験は、その後の本の読み方や読書傾向に、大きな影響を与えた。
京大ミステリ研、正式名称を「京都大学推理小説研究会」というサークルだった。
週に1度の「例会」のあと、皆で喫茶店でたむろしていると、先輩が「あとで作家が来るよ」と教えてくれた。どんな人が来るのだろう、怖かったりするのかな、と期待と不安の入り交じった気持ちでいると、しばらくして現れたのは、一見学生と見紛うような、すらりとした、けれど雰囲気のある人で、新入生の僕らにも気さくに話しかけてくれた。それが、綾辻さんとの初対面だった。
何日か後に、下宿の近所を歩いていたら、綾辻さんとばったり会った。どうやら、近くに住んでいるらしい。僕のことを覚えていてくれたようで、
「暇だったら、うちに珈琲飲みに来る?」
と、びっくりするようなお誘いをいただいた。緊張はしたけれど、せっかくの機会なので、お言葉に甘えてお邪魔して、珈琲をご馳走になった。
それからも近所ですれ違う度に、ご厚意に甘えてお邪魔しては、本を貰ったり、レコードを聴かせてもらったり、映画を見せてもらったりした。
「高校教師」で森田童子がリバイバルヒットするずっと前に童子を聞かせてもらったのも、「Deep Red(サスペリア2)」のビデオを見せてもらったのも綾辻邸だ。そして、沢山のマジックを見せてもらい、教えてもらった。綾辻さんは、僕のマジックの師匠でもある。
授業にはまったく出ず、ミステリ研と本屋と自分の部屋、みたいな三角形の学生生活だったから、まっとうな社会人には到底なれないと自覚していたが、4年間はあっという間で、就職を考えないといけない時期になった。
先輩作家からたまに聞く「編集者」という言葉を思い出し、出版社に就職すれば、好きな本に携われるし、こんな生活でもなんとかなるかもしれない、と思った(というのは、偏見でした。すみません)。
出版社を中心にマスコミを受けていたら、運良く新潮社に内定をもらい、就職することができた。ミステリ研にいなかったら、出版社を就職先に考えることなんてなかったろうし、当然、編集者になることもなかった。
さすがに京都と東京は遠く、以前のようにお邪魔することはなくなったけれど、僕が担当した本が評判になったりすると、綾辻さんはことあるごとに「良かったね」と声をかけてくれた。
「見てくれてるんだな」と嬉しく思うのと同時に、それは「見られてるんだな」という怖さでもあった。綾辻さんだけでなく、先輩作家は皆活躍しているのに、後輩の編集者がヘボでは、顔に泥を塗ることになる。プレッシャーではあったが、張りのあるプレッシャーでもあった。
cakesで転載された、この『書きたい人のためのミステリ入門』の原型となった連載も読んでくれていて、ツイッターで触れてくれたり、改稿のアドバイスをくれたり、「書籍化することがあれば、僕で良ければ協力するよ」と、本当にありがたい言葉もかけてもらった。普通は遠慮するところなのかもしれないが、僕はずうずうしくもその言葉に甘え、オビに一言いただけないでしょうか、とお願いした。
綾辻さんは快く引き受けてくれて、それが、あのもったいないくらいのコメントだ。
綾辻さんと初めて会ったのは、19歳のときだから、あれから30年以上経つ。既にいい歳を遙かに通り越しているけれど、でも、綾辻さんと話していると、すぐに学生時代の自分に戻ってしまう。
もし、他の大学に進学していたら。
もし、別の場所で下宿生活をしていたら。
もし、ミステリ研のドアを叩いていなかったら。
もし、遠慮して綾辻邸にお邪魔することがなかったら。
もし、就職に際して違う職業を選んでいたら、etc……。
書き出すときりがないので端折っているが、この本は、こうした山のような「もし」の上に成り立っていて、どれが一つ欠けても、この世には存在しなかった。出来上がったばかりの見本をしげしげと眺めていると、人生って不思議だし、全部が繋がっているんだな、と思えてくる。この本にかかわるすべての「もし」と、いまだに変わらず後輩を気に掛けてくれる綾辻さんに心から感謝したい。
本当にありがとうございました。