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  • “11月16日、恵比寿に竜が現れる――” STREET&BOOKS『竜の昇る日』平野啓一郎インタビュー

    2020年11月02日
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    日販 ほんのひきだし編集部 浅野
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    10月31日、この冒頭シーンとまったく同じように、「十一月十六日この地より竜昇らんずるなり」という“御触書”のような一文が、恵比寿スカイウォークのビジョンに出現しました。

    これは、『ある男』『マチネの終わりに』などで知られる小説家・平野啓一郎さんが新たに書き下ろした『竜の昇る日』の第0話。〈街角に、物語を。〉のコンセプトのもと生まれた「STREET&BOOKS」プロジェクトの第1弾と位置づけられ、『竜の昇る日』は11月4日より、14日間の連続デジタルサイネージ小説として、この恵比寿スカイウォークで連載をスタートします。

    物語のヒントとなったのは、ある僧侶のでっちあげた“噓”にまつわる話を書いた、芥川龍之介の短編小説「竜」。時代をするどい視線で捉えてきた平野さんは、恵比寿という街を舞台に、なぜ今この小説を書いたのか? インタビューでその真意に迫ります。

    平野啓一郎(ひらの けいいちろう)
    1975年、愛知県蒲郡市生まれ。北九州市出身。京都大学法学部卒。1999年、在学中に文芸誌「新潮」に投稿した『日蝕』で第120回芥川賞を受賞。40万部のベストセラーとなる。以後、一作ごとに変化する多彩なスタイルで数々の作品を発表し、各国で翻訳紹介されている。著書に、小説『葬送』『滴り落ちる時計たちの波紋』『決壊』『ドーン』『空白を満たしなさい』『透明な迷宮』『マチネの終わりに』『ある男』など。エッセイ・対談集に『私とは何か 「個人」から「分人」へ』『「生命力」の行方~変わりゆく世界と分人主義』『考える葦』『「カッコいい」とは何か』などがある。2021年、北海道新聞、東京新聞、中日新聞、西日本新聞にて連載した長編小説『本心』の単行本が発売予定。

    ©瀧本幹也

    ――『竜の昇る日』は、ある日「十一月十六日この地より竜昇らんずるなり」という告知が突如出現したことをきっかけに、主人公の男性の日常と、彼の少年時代のエピソードが交差していく物語となっています。そのなかで一つ、「噓」という要素がキーになっていますよね。

    実は僕自身、子どもの頃に「噓」にまつわる印象的な出来事を、実際に経験しているんですよ。

    その時の、なんともいえない気持ちが忘れられなくて。今回物語を書くにあたって、ふとそのことを思い出しました。

    ―― 1999年に『日蝕』で第120回芥川龍之介賞を受賞して、約20年が経ちました。平野さんが今、芥川龍之介の作品をモチーフに小説を書いたというのも、今回の試みの面白い点だと思います。

    はっきりとは覚えていないですが、昔話かなにかで、子どもの頃から「竜」の話の内容は知っていました。

    『竜の昇る日』は芥川の「竜」に着想を得ていますが、「竜」も、もとは宇治拾遺物語の「蔵人得業、猿沢池龍事」を題材にしたものです。どちらも「何月何日、この池から竜が昇る」という建札が打たれ、その噂が日を追うごとにどんどん広まっていく……という話なんですが、宇治拾遺物語が「集まった大衆が竜が昇るのを今か今かと待っていたが、結局何も起きなかった」という結末を迎えるのに対し、芥川の「竜」は“嘘から出た真”の話になっている。「何も起きなかった」という結末のほうが、シニカルで芥川らしい気もするんですけど。

    なにげないつぶやきが、あれよあれよとSNSで拡散されて、いつのまにか収集がつかない事態になってしまう。宇治拾遺物語は鎌倉時代のもの、「竜」は大正時代に書かれた作品ですが、時代が変わっても同じようなことが起きていると、今あらためて思っています。

    ―― 平野さんは「噓」を悪いものだと思いますか。それとも、いい面もあると思いますか?

    そもそも、大人の噓と子どもの噓で、質が異なっているように思います。僕自身もそうでしたけど、子どもって、けっこう噓をつくじゃないですか。でもその「噓」には、怒られたくないからつく噓もあれば、妄想のような、「こうなったら面白いんじゃないか」という純粋な発想から生まれた噓もある。いろんな背景があって、大人同士がつく噓とは同じじゃないと思うんです。

    大人は、正直で誠実な人間に育ってほしいという思いから「噓はいけない」と子どもを叱ります。だけど、あらゆる事情を無視して「噓」とひとまとめにし、ダメだと抑えつけるのは悪影響もあるんじゃないかなと、僕は思っています。そうやって子どもの頃から「噓はダメ」と強烈にインプットされてきた大人の中にはきっと、今も、自分が正直者でないことに罪悪感を抱えている人も多いことでしょう。

    でも「つい面白いほうへ話を作り変えてしまう癖」って、実はクリエイティヴィティの種かもしれない。それに、AR・VR技術を想像するとわかりやすいですが、現実に仮想世界の物語や情報を付加して、それ全体を「現実」として認識するような、バーチャルと現実世界との融合が今どんどん進んでいますよね。

    だから、リアルと偽物を区別する線引き、正しいものと正しくないものを分ける線引きそのものも、実は曖昧で、変化していくものだと思うんです。

    フェイクニュースのような、現実そのものを歪める「噓」は拒否すべきですし、政治家の噓なんて悪いに決まってますけど、その一方で、現実世界をポジティブに拡張したり、生きるつらさを癒やしたりする「空想・仮想」の存在を否定することはできません。「時と場合による」と言うと、それまでになってしまいますが。

    ――「実在していないからリアルじゃない」「嘘だから、偽物だから正しくない」という判断では、ないということですね。

    もう一つ、面白い話があります。10月2日に、ゲルハルト・リヒターの半生を映画化した「ある画家の数奇な運命」が公開されました。撮影にあたってリヒターの絵が必要になりましたが、彼の作品はものによっては何十億円もする。さすがに本物の絵を調達するわけにはいかないということで、実物そっくりの絵が作られることになったんです。これは“偽物”ですよね。

    ―― そうですね。

    でも、その“偽物”を作ったのは、当時リヒターの右腕として重用されていた人なんですよ。もっと言うと、リヒターの作品のうち、写真の模写をもとにした「フォト・ペインティング」と呼ばれるシリーズのなかには、彼がそのほとんどを描いたものもあるんだそうです。そうなってくると、映画のために作られたこの“偽物”は、“本物”とも呼べるんじゃないか?と考えられますよね。

    もしかしたら、オークションにかけた時に誰も入札しなければ“偽物”で、皆がこぞって高値をつけ始めた時に“本物”と認識されるようになるのかもしれない。だからやっぱり、噓かどうか、正しいかどうかを簡単に区別することはできないし、何を根拠にそう判断するかに対して、僕たちは頭を使わなきゃいけないと。

    『竜の昇る日』も、嘘と空想、現実と物語が交錯するストーリーです。お互いが似ているようで一致しない、そういうところを楽しんでもらいたいですね。

    ―― 今作は、新聞・雑誌やWebサイトではなく「街」という媒体で連載されます。執筆にあたってどんなところがポイントになったか、連載開始にあたってのメッセージをお願いします。

    今、コロナ禍のさなかで、さまざまなことがオンラインで済ませられるようになっています。僕の知人にもここ半年だけで、「東京に住む必要がなくなった」と、ゆったり暮らせる郊外や地方へ引っ越した人が何人かいます。しかし「外へ出なくても、意外と日常生活は送ることができる」とわかった反面、人恋しさや、リアルな体験を求める気持ちを、皆さんどこかしら持っていると思うんです。

    10年ほど前に『ドーン』という、近未来が舞台の小説を書いた時、あらゆることが閉ざされた空間の中で完結するようになると、物語がまったく平坦な、転換のないものになってしまうということを経験しました。物語においては、空間の外へ出ないと解決しないような「問題」を舞台装置として作ることで話を動かしていきましたが、そのことは現実世界にも通じるのではないでしょうか。

    オンラインではなく、物理的に「その場所へ行かないと体験できない」ことって何だろう、どんなことがその場所で待っていたら楽しいだろう、そんなふうに考えて、『竜の昇る日』という小説を書きました。

    『竜の昇る日』は半日ごとに更新されていきますが、1話1話は短くて読みやすく、それでいて、最後まで読み終えると、物語が何層にもなっていることにお気づきになると思います。面白いと感じていただけたらうれしいです。

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