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    映画『望み』堤幸彦監督インタビュー:完璧なキャストで描かれる、息子の失踪で浮き彫りになった「家族のひずみ」

    2020年10月21日
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    日販 ほんのひきだし編集部 浅野
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    いつからか頻繁に聞かれるようになった「最近の子は難しい」という言葉。10月9日(金)に公開された映画『望み』は、息子の失踪によって揺らぎ拮抗する〈家族〉それぞれの思いを描くとともに、無責任かつ安直に「どうせ◯◯だろう」と決めつけがちな〈世間〉の視線を正面から問うような内容にもなっています。

    メガホンをとったのは、「ケイゾク」「TRICK」「SPEC」といったミステリー作品で知られる一方、『明日の記憶』や『悼む人』『人魚の眠る家』など人間ドラマも多く手がけてきた堤幸彦監督。

    自身も父親である堤監督は、この『望み』という作品にどのように向き合ったのか? お話を伺いました。

    堤幸彦(つつみ・ゆきひこ)
    1955年、三重県に生まれ愛知県に育つ。1988年、森田芳光監督のオムニバス映画『バカヤロー!私、怒ってます』の「英語がなんだ」で映画監督デビュー。1990年『![ai-ou]』で長編映画デビュー。TVドラマ「金田一少年の事件簿」「ケイゾク」「TRICK」「SPEC」シリーズは映画化もされ、ドラマと映画の両輪でヒット。近年は舞台演出にも意欲的で、『悼む人』(2015)、『真田十勇士』(2016)は映画版・舞台版を共に演出した。
    そのほかに『明日の記憶』(2006)、『イニシエーション・ラブ』(2015)、『天空の蜂』(2015)、『人魚の眠る家』(2018)、『十二人の死にたい子どもたち』(2019)など。
    2021年2月には『ファーストラヴ』が公開予定。

    【STORY】
    建築家の石川一登(堤真一)とフリー校正者の妻・貴代美(石田ゆり子)は、一登がデザインを手がけた邸宅で、高一の息子・規士(岡田健史)と中三の娘・雅(清原果耶)と共に幸せに暮らしていた。規士は怪我でサッカー部を辞めて以来遊び仲間が増え、無断外泊が多くなっていた。高校受験を控えた雅は、一流校合格を目指し、毎日塾通いに励んでいた。
    そんななか、冬休みのある晩、規士が家を出たきり帰らず、連絡も途絶えてしまう。翌日、一登と貴代美が警察に通報すべきか心配していると、同級生が殺害されたというニュースが流れる。警察の調べによると、規士が事件へ関与している可能性が高いという。さらには、もう一人殺されているという噂が広がる。
    行方不明者は3人。そのうち犯人だと見られる逃走中の少年は2人。息子は犯人なのか、それとももう一人の被害者なのか? 父、母、妹――それぞれの〈望み〉が交錯する。

    ―― まずは、公開を迎えた今の気持ちをお聞かせください。

    緩和されてきたとはいえ、映画を上映する側にも、観に来てくださる方たちにもまだ制限・制約があるなか、無事に上映できることを本当にありがたく、幸いだなと思っています。「映画館へ行く」という選択自体が問われる時代がくるなんて、本当に想定外でしたから。

    私自身も毎日のように映画や音楽をスマホで楽しんでいますが、それでも「映画館で観るべき作品」、いうなれば非日常的な、祝祭的な独特の空間で、しっかり向き合って観るべき映画というものがあると思っています。

    1960年代から映画館に通ってきた身としては、「映画館へ行く」というのはちょっと特別なことでした。それを抜きにしても、撮影技術だけでなく、最近は特に音響のあり方に、映画館の特別さが色濃く反映されています。「音像」、つまり音による空間の広がりを多様にクリエイトできるようになりました。

    『望み』は映画館で観ていただきたい作品として映像も音も丁寧に作ってきましたので、無事に映画館で公開できて嬉しいというのが、いつわりない本音のところです。

    ―― 本作は、今年1月から2月初旬にかけて撮影されました。撮影は影響を受けなかったものの、その後の編集や仕上げ作業は、緊急事態宣言下で進められたと聞いています。

    リモートでの編集もありましたし、編集ウーマンの洲崎さんとだだっ広い編集室で離れたところに座って、映像を作っては壊し、作っては壊しする作業を繰り返す過程もありました。撮る予定だった作品がなくなったり、延期になったりして映画監督としての仕事には影響が出ましたが、『望み』という作品に限ってみれば、とぼとぼと歩いて編集室へ行き、編集マンと向き合って、じっくり何か月もかけて納得いくまで作品づくりができたのは、よかったことだと思います。

    ―― 不安定な状況のなかで、作品に対する考えに変化はありましたか。

    芯のところは変わらないですが、常識だと思っていた行動様式が覆り、できないことが増えていく。社会も“やってはいけないこと”への強制力を持ったものに変わっていく。周りの目も気になるし、やっぱりフラストレーションはたまっていきますよね。

    家族と向き合う時間が増えたことは、いいことでもありますが、同時に「家族といえど他人である」ということを実感した人も多いと思います。そうすると、この『望み』という作品のもつテーマが、撮っている本人でありながら深く沁み入ってくるところがありました。望む・望まないにかかわらず“そうなってしまった”というのが実際のところですが、まさに今の時代に世に出すべき映画を作れたと思っています。

    ―― それではさっそく、本作で描かれた「家族」、そして家族それぞれの「望み」について伺っていきます。映画化にあたっては、どんなところを核にしましたか?

    最初に映画化の打診があったとき、雫井脩介先生の小説が原作だと聞いて、まず「チャレンジしたかった作家さんではあるけれども、私で平気だろうか」と思いました。警察ものや裁判もので相当緻密なミステリー小説を書いていらっしゃる方ですから、雫井先生のレベルまで緻密に描くことができるだろうかというのがまず頭をよぎったんです。

    けれども、いざ『望み』を読んだ時、大事なのはそこではないということに気づきました。これは「家族を描いた小説」であり、私自身も現実を“家族の一員”として生きている。それに気づいた時、映画化する自信があるかどうか以上に「やらなきゃいけない」、これを撮らなければ次の作品作りにはいけないという気持ちになって、自ら「やりたい」と手を上げました。

    小説はそれくらいシンプルで、強い作品です。映画を撮る前、脚本を読んでいた段階では「サスペンスとして撮るべきか、それとも人間ドラマに振るべきか」「父と母、どちらかの立場に寄せる必要があるだろうか」と思案していましたが、そういう2択で考えることも間違いだなと思うようになりました。最終的には、一つひとつのシーンの持つ意味、醸し出さなければならない感情を丁寧に捉えて、俳優の皆さんに表現していただこうと。原作にはそれぞれの感情がぎっしり言葉で書かれていますけれど、映画では、一人ひとりの表情や動き、目線がト書きの役割を果たしています。

    大変レベルの高い俳優さんが4人揃い、順撮りで撮らせてもらったこともあって、監督の立場でありながら、ひとつの舞台を見せてもらっているような気分でした。

    望み
    著者:雫井脩介
    発売日:2019年04月
    発行所:KADOKAWA
    価格:748円(税込)
    ISBNコード:9784041082096

    ―― 本作では、4人家族の暮らす「家」も重要なファクターです。堤真一さん演じる石川一登は建築家。自ら手がけたわが家は、玄関、広いリビング、そこから伸びる階段、そして子ども部屋のある2階に至るまで、ドアによる仕切りが少なく家族全員の動きを見渡しやすい、こだわりの詰まった“理想の家”ですね。

    石川邸は、一登の教育方針を具現化したものであると同時に、モデルハウスという商品でもあり、彼のプライドや見栄が現れているものです。

    「外から帰ってきた子どもが、必ず親と顔を合わせてから自室へ向かうよう設計されている。それによって子どもの様子が自然にわかるし、自分の気持ちも伝えることができる。これって最高のコミュニケーションができる環境じゃないですか」と。でもそれってあくまで設計図であって、実際に家族の暮らしが設計図どおりに運ぶのか?ということを考えると、必ずしもそうはいかないですよね。

    ―― 確かに、家族がうまくいっていることが前提になっています。

    私の育った家庭も、石川家と同じ4人家族でした。もしその頃の自分が「リビングに生活の中心を置いた暮らし」を強要されたら、きっと家に寄り付かないで駅前にたむろしていただろうなあと思います(笑)。家族にも、ある程度の距離感は絶対に必要です。自然にコミュニケーションできるようにと作られた空間が「顔色を伺うためのシステム」になってしまうと、かえって居心地が悪くなるでしょう。本来なら子どもを「おかえり」と迎え入れて一言二言交わすはずが、親の顔も見ないまま仏頂面で自室へ向かう子どもの姿を見ることになる。このことが、『望み』においてはとても重要な、必要な要素でした。

    それから、家の外観や場所も非常に重要でした。青空の似合う立派でかっこいい家だけれど、上空から撮った時には真っ白で真四角で、周囲からは少し異質な感じのする家を……と何か月もかけて探しました。「郊外であること」も条件の一つだったので、ぴったりな家を見つけるのはかなり大変でしたね。

    私は所沢を舞台として想定しているんですけど、一登は「所沢」で建築家として名を上げ、そこに「どうぞ皆さん、わが家を見てください」といわんばかりの家を建てた。父親は満足しているけれど、そんな彼の姿が、そこに住まう子どもたちの心にどう影を落とすのか。家から離れて繁華街へ行けばいろんな誘惑が点在しているし、娘の雅が東京の有名高校を受験したがっているのは、もしかしたら本音のところでは「この地を出て東京へ行きたい」という思いが大きいかもしれないですよね。万事うまくいっているように見えて、芯の部分には心が届いていない。そういう絶妙な部分を表現したかったんです。

    ―― それが、大人たちからすると「こんなに思っているのに、子どもはまだ未熟だから何もわかっていない」ということになる。劇中にも「昔と違って、今の子どもは複雑だから」というセリフが出てきますが、堤監督はそう思いますか?

    私は、子どもは変わっていないと思います。

    ―― 逆に、親のほうが変わってきていると思うことはありますか。

    親のほうには、“親コンプライアンス”というのか、そういう妙なものが働いている気がしますね。私の父親は、50年前のことなのでいかにも“昭和のおやじ”といった感じの人でした。部屋でギターを弾いている時に「うるせえ」と入ってきて、ギターのネックを掴んで床に叩きつけられたこともあります。「何でだよ」と聞いても答えやしない。月に一度はビンタを張られていたし、まるで「寺内貫太郎一家」のような状態でした。

    思えばそこに理屈はなくて、ただ感情のぶつかり合いだけがある。当時は叩き潰されたギターを見て本当に悔しかったし、なんなら殴り返してやろうかと思ったほどでしたが(苦笑)、父の強さ・弱さも含め、大人になって意味がわかったことがいくつもありました。そういう昭和の強烈なコミュニケーションを体験した者からすると、自分の親としての子どもとの付き合い方は、控えめでおどおどしているように思います。

    それに拍車をかけたのが、テクノロジーだと思います。娘はまだ9歳なんですが、パソコンもスマホも、母親のものを平気で操作しています。レコード屋へ行かないと音楽を聴けなかった自分の子ども時代と比べると、遊びの選択肢やコミュニケーションの方法がはるかに多くて、うらやましくなりますね。

    でもその一方で、社会性を充分に身につけないまま“大人たちのいる世界”に入っていってしまう可能性も考えられる。そう考えた時、機器や自由を奪って叱ることで、果たして彼らを止められるのだろうか。止めたとして、それは正しいのだろうか。そういうことをうじうじ考えてしまいます。親にとっては、難しい時代です。

    ―― お話を伺っていて、自分たちの産み育てた子どもでありながら、まったく違う世界に生きているように見えているのかもしれないなと思いました。

    そうですね。それでも「家族」としてうまくいかなければならない、破綻してはならないと思うのも“親コンプライアンス”なんだと思います。

    ―― 子どもたちが自分の心情を明確に表に出さないぶん、『望み』では規士と雅それぞれの部屋で、彼らが表現されているように感じました。

    規士の部屋でポイントにしたのは、まず物をたくさん持っていないこと、小さい頃からその部屋で過ごしてきたことがわかる地元感、それからサッカーへの情熱です。できるだけシンプルにすることで、規士が感じていた居心地の悪さを表現しつつ、スパイクやポスターを飾ってサッカーに対する思いの強さを際立たせました。

    規士にはきっと、兄として我慢しなければならないことが、これまでたくさんあったと思うんです。

    でも、たとえば学校で何かトラブルが起きた時、本当は「こんなことがあって……」と話したくても、父親は思い込みが強く、プレッシャーも感じていたでしょうからどんどん話せなくなっていく。母親に対しても「言っても伝わらないだろうな」という諦めにも似た気持ちを抱いていて、「何かあったの?」と聞かれても「別に」「なんでもないよ」とそっけない態度をとってしまう。

    ―― よくわかります。

    両親は「拗ねている」「反抗期そのものだな」と思って済ませようとするけれど、実はそうではなくて、彼には強くて優しい部分もいっぱいあるんです。

    岡田健史くんは登場シーンもセリフも本当にわずかですが、そのなかで非常にうまく“残り香”を漂わせる演技をしてくれました。行方がわからなくなる夜、家を出る前に振り返った姿は、おそらく母親の貴代美にとって、一生忘れられない記憶として残るでしょう。映画をご覧になる皆さんにとっても、非常に印象的なシーンになると思います。

    ―― 妹・雅についてはどうですか?

    部屋に関していうと、物が多いながら自分なりにしっかりレイアウトしてある感じにして、表彰状なんかもいろいろ飾ってあります。ボランティア活動をやっているとか、そういう彼女の生きざまを部屋でもかなり表現しました。結果的にはあまりたくさん映っていないですが、それは彼女の営みにきちんと反映されていると思います。

    清原果耶さんの演技は「怖いくらい巧い」としか言いようがないくらい完璧でした。「ちょっと一回やってみて」とカメラを構えたら、スピードや抑揚のような、その後つけるつもりだった基本的な演出をすでにすべてクリアしているんです。それどころか「それ以上に何かありますか」と問われているように感じる。「そうか、監督ってその先まで指示するものなんだな」と、逆に私が教えてもらいました。

    何十人ものスタッフが動き回り、カメラを回しているなかで、ものすごい集中力をもって「雅」という女の子の思いの丈を非常にクリアに表現してくれる。これは天才的な素質だと思います。

    ―― 最後に、本作『望み』を完成させたいま、これからどんな作品を作っていきたいですか。

    60代も半ばになり、この先何年映画監督を続けられるのか、どれくらいの作品に出会えるかわからないですが、コロナ禍で撮りたい映画を作れなかったという経験を経たこともあり、映画の一本一本が自分の人生にとって大切な存在であることを痛感しました。

    日本人にしか描くことのできない日本人の映画を、今後もずっと撮っていきたい。特に、許していただけるならば、日本における不条理と人間の心模様を「こんなところに着目したのか」と思っていただけるような視点で映画にしていきたいです。そういう映画を目指して、取材もずっと続けています。

    ―― このたびはありがとうございました!

    (スタイリング=関恵美子)

     

    映画「望み」作品情報

    堤真一 石田ゆり子
    岡田健史 清原果耶
    加藤雅也 市毛良枝 松田翔太 竜雷太

    監督:堤幸彦
    原作:雫井脩介『望み』(角川文庫刊)
    脚本:奥寺佐渡子
    音楽:山内達哉
    主題歌:森山直太朗「落日」(UNIVERSAL MUSIC)

    配給:KADOKAWA

    nozomi-movie.jp

    2020年10月9日(金)より全国公開中

    © 2020「望み」製作委員会




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