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20万部を超える大ベストセラー『夫のちんぽが入らない』で衝撃のデビューを果たしたこだまさん。9月2日に発売された『いまだ、おしまいの地』は、講談社エッセイ賞を受賞した『ここは、おしまいの地』の続編となる、待望のエッセイ集です。
デビューから3年、いまだ家族さえ作家であることを知らず、「おしまいの地」で静かに暮らすこだまさんですが、心境にはさまざまな変化があったそう。じっくりお話を聞きました。
▼覆面作家として活動するこだまさん。般若や動物など「いろいろな“覆面”を経験してシンプルな場所に戻りつつある」と、今回は紙袋を着用
集団お見合いを成功へと導いた父、とあるオンラインゲームで「神」と崇められる夫、小学生を出待ちしてお手玉を配る祖母……“おしまいの地”で暮らす人達の、一生懸命だけど何かが可笑しい。主婦であり、作家であるこだまの日々の生活と共に切り取ったエッセイ集。
〈太田出版公式サイト『いまだ、おしまいの地』より〉
――『いまだ、おしまいの地』は、2年8か月ぶりの新刊となりますね。
最初の方に書いたエピソードは、それこそ2年以上前のことになるので、自分の中で気持ちや状況が変わってきているところもあります。改めて読み返して、この時にサウナにハマり始めたのだなと思い出したことも(笑)。でも、どれもその時々の自分の気持ちではあるので、連載をまとめてもらえてとてもうれしいです。
――サウナについての一編は、お父様の思い出とこだまさんのサウナへの熱い思いが綴られた「小さな教会」ですね。このお話は、ネット上でも反応している読者を多く見かけます。
本作ですっかり「サウナが大好きな人」として知られてしまったかもしれませんが、実はこれを書いた時がサウナ通いのピークでした。コロナ禍であまり外出できなかったこともあって、今はほとんど行っていないのですが、この時に「サウナはこんなにいろいろな発見のある場所なのだ」とその奥深さに驚きました。
私は食わず嫌いなものが多くて偏見を持ちがちなのですが、最近はこうやって一つ一つその思い込みを解消しているような気がします。
――確かに前作に比べると、今作は積極的に外との関わりを持っていらっしゃるような印象です。
前作は過去の話がメインでしたが、今作はその時々の出来事をリアルタイムで書いているものが多いです。新しいことをいろいろ吸収したり、ときにはおしまいの地を飛び出したり、今のほうが生きていて楽しいです。
前作も、それまでの苦しい思いを吐き出すことができた大切な一冊なのですが、今作はまた新たな気持ちで本を出せたなと思っています。
――その心境の変化にきっかけはあったのですか?
この本の担当編集者に、「もっと外に出て、新しい体験をしてみたら」と提案されたことがとても大きいです。前作のときはそういう視点を持っていなくて、自分の中にあるものだけを書き出す作業でした。
もともとあまり人と関わるようなことはしてこなかったのですが、上京して人と会ったり、行ったことのないライブに誘われて行ったり。「九月十三日」という一編では、脱毛に初挑戦した経験を書いています。
すべてがエッセイのためではないのですが、最近は習い事を始めるなど、初めての体験について書いたものは多いですね。
――そういった心境の変化が、装丁にも反映されているそうですね。
前作の表紙は私が撮影した写真でしたが、今作は山口県の祝島で珈琲店を営む堀田圭介さんの作品を使わせていただきました。たまたまTwitterで堀田さんの写真を見かけて、ヤギや海岸の岸壁など、離島の風景にすごく惹かれて。「次の新刊に写真をいただくことはできますか」と自分からTwitterで近づいて、声をかけました。
そうしたら、堀田さんが候補になるような写真をフォルダでたくさん送ってきてくださったのです。▲『ここは、おしまいの地』の写真はこだまさん撮影、『いまだ、おしまいの地』は山口県祝島の風景を写した1枚
――奥行きのある、猫の存在も印象的な写真ですね。
私は当初、本文180ページに掲載した陰のある写真をカバーにしてもらおうと思っていました。しかし、編集者とデザイナーの方で相談された時に、今作は人と触れ合ったり外の世界と関わったりしている内容なので、そういう私自身の変化をカバーでも表現したほうがいいのではというアイデアをいただいて。
前作の雰囲気とは違う、明るくて体温を感じる雰囲気のカバーに仕上げてくださいました。本当は、猫のいるこの写真が一番好きな一枚でしたが、自分の本にはふさわしくないのではと思っていたので、うれしかったです。▲当初、こだまさんが表紙にと希望していた岸壁の写真(『いまだ、おしまいの地』p.180より)
――今作の中でもっとも衝撃的だったのは、詐欺師の家に乗り込んだ体験が書かれた「メルヘンを追って」でした。こだまさんが面識のない男からSNS上で嘘の援助を頼まれ、多額のお金を振り込んでしまうエピソードです。
これも自分一人だったら、泣き寝入りのような形で諦めていたと思うのですが、周りの人から「お金を取り返しに行って、それをエッセイにしたらいいのでは」と言われて。恨みとか悲しい雰囲気では終わらないように、「おもしろいところに着地させよう」という周りからの援護もあって、踏み出せました。
どんな結末になるのかもわからずに、彼の実家に何人かで乗り込んだのですが、いい経験になりました。彼のお母さんとお話しているうちに、「もう人にお金は貸さないでくださいね」と逆に私の落ち度を諭されて。その言葉は本当に身に沁みて、また同じような失敗をしそうになったときには、そのお母さんのことが胸に浮かぶと思います。
――軽妙な筆致で描かれていますが、実は重たい題材でもありますね。
そうかもしれません。わかる人にはわかってしまうかもしれないけれど、なるべく個人を特定されないように書きつつ、でも起きたことはきちんと伝えたいという気持ちがありました。
それは私の執筆活動とかぶるところもあって、『ここは、おしまいの地』も『いまだ、おしまいの地』も固有名詞は出していないけれど、起きたことはすべて実際にあったことを書いています。それが今回は事件性のある題材だったということになりますね。
――前作のインタビューでは、その内容を「“こうして生きていこうと思います”という私自身の思いを示している感じ」と語られていました。今作は、全体を通して「ちゃんといろんなことをおもしろがって暮らしています」(「逃走する人」)という一文に象徴されるように、困難を受け入れた先にある、自分たちへのより確かな肯定が感じられます。
私は自己免疫疾患の持病があり、最近は鬱にもなりました。夫はパニック障害を患っていますし猫も具合が悪いので、家の中全員が病気を抱えています。
でもそこで落ち込んだり、心配したりするよりは、なるべくその状態自体も題材として書いていきたい。心配はしていてもそれを表に出しすぎないというか、あまり深刻にはならずに、夫からも不安を引き出しやすい雰囲気にしていきたいと思っています。
――パニックの発作を「逃走」と呼んで、明るくふるまっていらっしゃるのもそうした思いからなのですね。
夫の症状がピークだった時は毎日仕事を辞めたいと言っていたので、その時は「つらかったらもう仕事を辞めていいよ」と伝えていました。そう言っても辞めるタイプではないことをわかって言っている部分もあるのですが、本当に辞めるなら私がもっと作家活動を全面に出して、書く仕事を増やしてもいいと思っていました。
――こだまさんが作家であることを、まだご家族はだれもご存じないそうですね。
はい。でもそれを機に公表してもいいかなという気持ちもあります。自分からは言わないですけれど、気づかれたら「そうだよ、書いているよ」と言ってもいいかなと。ひどい話ですが(笑)、そういう気持ちにはなっていますね。
自分に自信がまったくなかった状態から、連載を本にできて、読んでくださる方が増えた。そのことで少しずつ変わってきた部分があるのだと思います。
――それは一昨年、『ここは、おしまいの地』で講談社エッセイ賞を受賞されたこともあるのでしょうか。
すごく大きなきっかけになったと思います。受賞がピークになってしまったら嫌だなという思いもありますし。
前作や『夫のちんぽが入らない』もそうですが、以前はわりと読む人に「衝撃を与えたい」という、インパクト勝負みたいなところが自分の中にありました。それが、受賞をきっかけに「自分は今後、どのように書いていきたいのだろうか」と悩み始めて、エッセイをもう少していねいに突き詰めていきたいという気持ちが湧いてきました。
いまは自分の中でふたつの選択肢があって、勢いで書く題材もあれば、過去の記憶をめぐりながら、なるべくゆっくりていねいに書きたいと思うものもあります。幅が広がってきたのかなとは感じますね。
――独自の生活様式を貫いている妹さん夫婦のことを書かれた「面白くない人」では、「誰が決めたかわからない『当たり前』を軽やかに超えていく」という一文が印象に残りました。これは、こだまさんご自身の変化についてもいえることなのではないでしょうか。
こうありたいと、自分に言いたい気持ちもあったかもしれないです。新しい生き方や多様性についてはさまざまな記事で読んでいますが、身近なところに目を向けると、妹たちも役割を分担して、彼らなりの生き方をしている人たちなのだと気づきました。
母はまだ昔からの考えに囚われていて、「母親なんだから仕事はほどほどにして家にいなさい」と妹によく注意しています。以前の私なら、そう言っていたかもしれません。でもいまは、妹たちのような夫婦の生き方は格好いいと応援しています。
ついでに私も、「夫と2人で暮らしているけれど、自分たちは納得している。だから子どもがいないことをかわいそうだと思わないでね」と母に言いたい気持ちがあります。他所からみたら変わっている人であり、夫婦かもしれないけれど、実際はきちんと考えて生きている人たちは多い。外から見ただけで判断したくないなと強く思っています。
・『夫のちんぽが入らない』のこだまが、限界ぎりぎりまで綴ったエッセイ集を語る!『ここは、おしまいの地』インタビュー【前編】