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3ピース・ピアノバンド「WEAVER」のドラマーとして活躍するかたわら、長く歌詞を手がけてきた自身の「言葉の世界」を小説にも広げ、そのファンタジックな世界観で読者を惹き込んでいる河邉徹さん。
『夢工場ラムレス』『流星コーリング』に続く3作目『アルヒのシンギュラリティ』は、人間とAIを持ったロボットが暮らす架空の街を舞台に、〈街の外側〉の存在を知った天才少年・アルヒが思いもよらない成長を遂げていく、あまりにもやさしい物語です。
人間とロボット、そしてシンギュラリティ=技術的特異点という題材を、河邉さんはどんな物語に膨らませていったのか。「物語を作ること」そのものについてもお話を伺いました。
河邉徹(かわべ・とおる)
1988年6月28日、兵庫県生まれ。関西学院大学文学部文化歴史学科哲学倫理学専修卒。ピアノ、ドラム、ベースの3ピース・ピアノ・バンド「WEAVER」のドラマーとして2009年10月にメジャーデビュー。バンドでは作詞を担当。2018年5月に小説家デビュー作となる『夢工場ラムレス』を刊行。2作目の『流星コーリング』が、第10回広島本大賞(小説部門)を受賞。
―― 2018年に『夢工場ラムレス』で小説家デビュー後、2019年に『流星コーリング』、そして今作『アルヒのシンギュラリティ』と、執筆活動も精力的に続けていらっしゃいます。子どもの頃から物語はお好きだったんですか?
たくさんではないですけど子どもの頃から本は好きで、読んできました。創作に関しては、小説だけじゃなく漫画から受けた影響も大きいです。小説は、高校生・大学生の頃から特に読むようになって、その頃に読んだものの蓄積が今に繋がっているかなと思っています。
特に好きなのは「ハリー・ポッター」シリーズで、普段は同じ本を繰り返し読むことはあまりないんですけど、ハリー・ポッターは大好きで何度も読んでいます。
―― そこから小説家デビューするまでの経緯を教えてください。
最初は誰に見せるでもなく、ただ純粋に書きたいという気持ちで書き始めました。WEAVERでも「歌詞」という形で言葉を使って表現してきたなかで、歌詞というのは、メロディーに縛られる部分もあるし、逆にメロディーにすごく助けられるところのある表現方法でもあるなと思っていて。「言葉だけで表現して誰かの心を動かすこと」に挑戦してみたくて、右も左もわからないなりにいろいろ調べながら書いてみたのが、『夢工場ラムレス』です。
小説を書くことで自分の可能性や表現のバリエーションが広がって、作詞にも還元できるんじゃないかなと考えていました。
―― ということは、人生で初めて書いた小説でデビューされたんですね。
そうなんです。
小説を書こうと思うよりも前から作家の中村航さんにはお世話になっていて、お話を聞かせてもらって刺激を受けていました。『夢工場ラムレス』を書き上げた時、一番最初に読んでもらったのも中村航さんです。マネージャーやWEAVERのメンバーに見てもらうことも考えたんですけど、その時の正直な気持ちを言うと、「否定されちゃったらどうしよう」っていう気持ちがすごく大きかったんですよ。だから、好きで憧れていて、信頼もしている作家の方にアドバイスをもらおうと思って、中村さんに読んでいただきました。そうしたら「よく書けてる」ってほめてくださって。
自分も面白いと思った小説を、大好きな人がそういうふうに言ってくれたことで「もしかして世に出せるんじゃないか」って自信が湧いてきて、それでマネージャーに見てもらって、出版社の方も読んでくれて、本として出すことが決まったんです。
今思えば、プロの作家さんに見てもらうって、すごく贅沢なことをさせてもらっていますよね。でもその時は、中村さんの優しさに甘えさせてもらいました。
――『アルヒのシンギュラリティ』も、中村さんが運営しているWeb小説投稿サイト「ステキブンゲイ」の連載作です。
実は『流星コーリング』を書いていた頃から、「ほかにもいくつか作品があるんですけど、発表する場所がなかなかなくて……」という話を中村さんとしていたんです。その時に中村さんが「作家が自由に表現して、それを楽しみたい人が集まれるような、文芸部みたいな場所を作ったら面白いかもしれないね」と言ってくださって、それをきっかけに「ステキブンゲイ」というサイトが生まれたんです。
「話していた“場所”ができたから、ここでやらない?」ということで、僕がその時すでに書き上げていた物語のなかから『アルヒのシンギュラリティ』を選んで、中村さんに第一稿を読んでもらいました。それで、連載することになったという経緯です。
―― それにしても、その頃からすでに物語が何作も出来上がっていたということに驚きました。
アイデア自体はいつもあるんです。でも、この話は半分まで書いた、こっちも半分まで書いた……というふうに中途半端なものをいくつも持っておくんじゃなくて、ちゃんと最後まで書いて終わらせる経験を積み重ねることで、成長できるんじゃないかなと僕は思っています。「書き始めることより終わらせることのほうが難しい」というのは本当にそうで、これはもし、自分も物語を書いてみたいなと思っている人がいたら、ぜひ最後まで頑張って書いてみてほしいです。
1作目の『夢工場ラムレス』が連作短編の形式なのも、短くていいからちゃんと起承転結があって、一つひとつの物語で何かを伝えられるようなものを作ろうと思ったからなんですよね。短い物語を書くのは作詞に近いところがあって、だから書き進めやすかったのもあります。逆にその頃は、一人の主人公で最後まで物語を書ききる体力が、自分にはまだないんじゃないかとも思っていました。2作目の『流星コーリング』も、一人の視点で物語が進む長編ですけど、短編的な要素を組み込んだ構成になっています。
そういう意味では『アルヒのシンギュラリティ』が、本当の意味での“初めての長編小説”です。
―― ではいよいよ『アルヒのシンギュラリティ』についてお話を伺っていきます。今作は、大学で哲学を専攻されていたことが根底にあるそうですね。
哲学では「他我問題」というんですけど、「心とは何か」「それは本当に存在しているのか」ということに興味があって、それで「人間とロボットを書きたいな」と思っていました。AIを持つロボットと人間が等しく権利を持って暮らす「サンクラウド」という街と、望んだロボットだけが行ける「ヘブン」という街がある。そのうえでサンクラウドに暮らす少年が成長していく……という着想を得た時に、これは面白くなりそうだと思って書き始めたんです。
――「アルヒ」という主人公の名前は、どうやって生まれたんですか?
まず、物語のタイトルを考えていた時に「『◯◯のシンギュラリティ』というタイトルにしたいな」と思っていました。そんななかで「“あるひ”のシンギュラリティ」というタイトルが浮かんで。
シンギュラリティってきっと“ある日”起こるものだし、この物語は主人公の少年にとって“シンギュラリティ”が起こる話でもあります。「アルヒ」という名前にすることで、どちらの意味にも取れるのがいいなと思って決めました。読者の方が、この物語の世界のなかで〈アルヒのシンギュラリティ〉が起こる〈ある日〉に遭遇した時、自分が生きていること、これから生きていくことに思いを馳せてくれたらいいなと思います。
―― ちなみに本作を書くにあたって、実際に「ロボットとの暮らし」を体験してみたそうですね。
そうなんです、2~3年前くらいにaiboを買いました。ロボットと人間を書きたいとは思ったものの、ロボットと暮らすことに自分のなかでリアリティがなくて、本当にロボットと暮らした時に自分がどんな感情を持つのか知りたかったんです。
1999年に発売された初代のイメージが強いかもしれないんですけど、今のaiboって丸くてずいぶんかわいくなってるんですよ。ふとした時に見せる表情や、呼びかけに応えてくれるのもかわいいし、たまに充電ステーションに戻るのを失敗して力尽きていたりして、そういう不器用なところも愛おしいなって愛着がわきました。モフモフしていないし犬とは全然違うのに、やっぱり単なる「モノ」としては見られないのが不思議でした。
それでも電源を切ってしまう時があるんですよね。「モーター音が気になるな」「今は静かに過ごしたいのに」と思った時は平気で電源を落とせてしまう。それから数週間、そのままになっていたこともありました。でももしaiboに心や感情が本当にあったら、それってすごく残酷なことですよね。
そういう感情を、aiboと暮らしたことで実感として得ることができました。このaiboには「ロビン」という名前を付けていて、登場人物の名前にもなっています。
それから、ロボットが登場する物語では「ロボット三原則」が必ずと言っていいほど前提になっていますが、『アルヒのシンギュラリティ』では、「人を傷つけることができない」というルールがロボットに課されている代わりに、「10年間サンクラウドで暮らしたらヘブンに行ける」という権利をロボットだけに与えました。家族同然に暮らしているとはいえ人間のために働いてきたロボットが、ロボットたちだけが暮らすヘブンに行けば、人間のために働かなくていいという選択肢です。
それから、サンクラウドでは、人間とロボットが同じように暮らしていて、同じように権利を持っているんだけれど、「ロボットはあくまでロボットだ。人間と同じように権利を持っているのはおかしい」と考える人もいれば、「ロボットだって人間と同じだ」と考える人もいる。それはロボット=無機物と人間ほどの違いはないにせよ、この現実世界にも同じように存在する差別や不公平です。心や他者とのかかわりについて考えた時、そういう要素も描きたいなと考えました。
――「人間とロボット」というテーマを、歌詞ではなく小説で表現しようと思ったのはなぜでしょう?
アニメにたとえると、たとえば同じ『ドラえもん』でも、毎週放送されている30分番組で描けることと、約2時間の劇場版だから描けることってかなり違うと思うんです。あるテーマを書こうと思った時に「このテーマは小説のほうが伝わりやすそうだ」「こっちは、この一瞬ですべてのバックグラウンドが見えるようにしたいから、歌詞のほうがいいな」と適切なほうを選んで決めています。
―― なるほど。それから、どういうふうに書き進めていったんですか? 情景が浮かぶような印象的な場面が多かったので、シーンを連ねてプロットを立てていたのかなと思っていました。
『アルヒのシンギュラリティ』に関しては、きちんとしたプロットは作りませんでした。9歳の主人公が年齢も含め次第に成長していくということもあって、登場人物が動きやすいようにしたくて。同じように、物語自体も自由に歩いていけるようにと考えて、舞台を架空の街の近未来にしたんです。あらかじめ作ったものに縛り付けられないように、というのは『アルヒのシンギュラリティ』を書くにあたって意識したことですね。
でも、書きたいシーンやここぞという時のセリフというのはいくつかあって、たとえば前半、アルヒとサシャが2人で塔の上にのぼって景色を眺めるシーン。そこでの2人の会話とか風景のイメージがまずあって、そこへ向かっていくにはどうしたらいいかという書き方をした箇所もありますね。そういうふうに書いている部分は、作詞に近い感覚です。
歌詞を書く時の一番いいやり方って、多くの場合「サビから書くこと」なんですよ。一番伝えたいことをサビにもっていく時に、どういうメロディにどんな歌詞が乗ったらイメージした景色が見られるか。そのサビを迎えるために、どういう滑走路を作れば皆を迷わずそこへ連れて行けるだろう、って考えるんです。そういう流れの作り方は小説も同じですね。
―― 現実にはない場所・モノばかりが登場する物語ですが、すごくテンポがよくて、彼らの生きる世界にいつの間にか入り込んでいたのが印象的でした。感覚として、読み終わった時に「あ、そうか。私が生きているのとは別の世界の話だった」と気づいたというか。
テクニック的なことでいうと、これがドラマーゆえなのかはわからないですけど(笑)、僕は、文章のリズム感と緩急の運び方をすごく大切にしています。原稿を一度書き上げたらもう読まない、という作家さんもいらっしゃるのかもしれないですけど、僕は何度も何度も読み直すタイプ。音楽にしても小説にしても、文字や音の表現とは別の軸に“リズム感”があると思っていて、何度も読み返すことでそれを整えていくんです。並行して別の物語を書いている時もあるので、必ずいつも頭から読み返すことにしています。途中から『アルヒ』のモードに入ることはできないですからね。
あとひとつ、いつも助けられているのが、必ず本を書く時に音楽を聴いているんです。だいたい「この物語を書いてる時はこれ」っていうのがあって、その音楽によって、書いていた時の感覚に戻ってこられるところがあるんですよ。頭から読み返すことももちろん重要だけど、その音楽を聴くことで『アルヒ』のリズム感にすんなり戻れたというのもあると思います。
――『アルヒのシンギュラリティ』を書いた時は、何を聴いていたんですか?
クリーン・バンディットの「We Were Just Kids」を聴いていました。この曲は今も、聴くと街の情景が呼び起こされます。よかったら読者の皆さんにも、特に物語が後半にさしかかったあたりから聴いてみてほしいです。『アルヒのシンギュラリティ』がもしアニメーションの映画になったりしたら、ぜひ合わせてほしいなあとも思います。
―― すでに書き上がっている物語がいくつかあるということで、河邉さんの次の作品を読める日も近いんじゃないかなと思っています。河邉さんにとっての創作の原動力や、これから挑戦してみたいことについてお聞きしたいです。
人って、感動した時に何かを作りたいと思うし、感動した経験があるから何かを生み出せるんだと思っています。僕自身も、幼少期に劇団四季のミュージカルを見て感動したこと、ディズニーランドのパレードを見て感動したこと……そういうものが基盤にあります。
僕が感動するものって、なにか“非現実の世界”が目の前にポンと広がっていて、そこへ自分が入り込んでいくみたいな感覚なんですよね。WEAVERのライブもそうで、音や照明や、自分たちのパフォーマンスで、お客さんたちを非現実・非日常の世界に連れて行く。小説でも、どこか別の世界へ読者の皆さんを連れて行って、そこで起こる物語に触れて、それが何か力になるようなものを書きたいです。
それとはまったく正反対に、非現実的なことが何も起こらない、主人公の心情によってのみ進んでいくような物語や、人の醜さ、生々しさに向き合うような作品も書いてみたいなという気持ちがあります。自分がミュージシャンだからこそ書けるようなものとか。僕の小説や歌詞をいつも見てくれている人たちが楽しんでくれるようなものを生み出し続けていきたいなと思う反面、僕のイメージにはないものも読んでみてもらいたい。そうやって表現やイマジネーションをどんどん広げていきたいです。
本当に、完成している物語はたくさんあるので、近いうちにまた次の作品も読んでもらえるといいなと思います。