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私たち一般の読者にとって、本を買うときには書店ヘ行くのが一般的です(ネット書店を含む)。しかし本を売るときには、出版流通に乗せて書店で売る「店頭売り」のほかに、企業や団体に直接アプローチする「外商売り」という売り方もあります。
児童書の専門出版社においては「外商売り」が売上の大部分を占めていることも多く、中でも学校図書館向けの本は柱の一つとなっています。今回紹介する作品は、この「学校図書館向け」の中でもバラエティに富んでいる「性教育もの」のロングセラー『おかあさんとみる性の絵本』です。
監修の山本直英先生は、この『おかあさんとみる性の絵本』以外にも性教育に関する児童向けの本を多数手掛けている、性教育の第一人者です。絵は「ぼくは王さま」シリーズ(理論社)の和歌山静子さん。性教育ものの絵本は多数ありますが、この作品のユニークさは各巻の和歌山静子さんのスタンスにあるように思います。それというのもこの3巻、奥付の著者表記がそれぞれ違うのです。
①『ぼくのはなし』の奥付は「和歌山静子さく(単独)」、
②『わたしのはなし』では「山本直英・和歌山静子さく(共著)」、
③『ふたりのはなし』は「山本直英さく・和歌山静子え」となっています。
なぜ奥付を変えているのか? 私も最初は不思議に思ったのですが、実際に読んでみますと ①『ぼくのはなし』は和歌山さんによるストーリー性が非常に強く、③『ふたりのはなし』は神話の要素を導入するなど山本先生の色が濃くなっています。そして②『わたしのはなし』では、性教育的な側面と女の子の心情がバランスよく混ざっていて、和歌山さんと山本先生がお二人で内容・表現を調整されたことが伺えます。なるほど、「よくできた編集だ」と感心しました。
そして内容面でのインパクトが強いのが、①『ぼくのはなし』です。
主人公は「海(かい)」という男の子。話は自分の生い立ちからはじまり、両親がどのように愛し合ったかを描く場面が挟まれ、終盤で父親が亡くなった今、「ぼくはぼくとしてうまれたことがいちばんうれしい」と自覚して終わります。
初めて読んだとき、この展開には驚かされました。
①『ぼくのはなし』の全16場面のうち、性教育的な解説を行う場面は9つ、残りの7場面は主人公の物語に費やす構成となっており、物語性を強くしようという和歌山さんの意図が伺えます。続く②『わたしのはなし』もその方向性を受け継ぎ、その結果『おかあさんとみる性の絵本』は、セットものの学習絵本には珍しく“作家性”を強く帯びた作品に仕上がっています。
そもそも「学校図書館向け」絵本は学習指導要領の改定などの影響を受けるため、他のジャンルの本に比べて寿命が長いものがあまりありません。その中で20年以上生き続けている本作は、この“作家性”によるものが大きいように思います。