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  • 「アンパンマン」が焼きあがるまで ― 『アンパンマン伝説』と『やなせたかし』

    2016年03月23日
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    日販 商品情報センター 馬場進矢
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    皆さんご存じの「アンパンマン」。彼は顔が水に濡れた程度で力が出なくなる軟弱なキャラクター設定ながら、ビジネス面では打って変わって、バンダイが毎年実施している「お子さまの好きなキャラクターに関する意識調査」で10年以上連続首位を守るほどの強さを発揮しています。

    しかし昨年、上記ランキングで大事件が起こりました。不動の第1位だったアンパンマンが第2位に陥落したのです。そして、首位を奪還したのはあの化け猫です。

    〉バンダイ「お子さまの好きなキャラクターに関する意識調査」 結果
    (こどもアンケートレポート Vol.222 2015年6月25日)
    http://www.bandai.co.jp/kodomo/pdf/question222.pdf

    やなせたかし先生の大ファンの私は、本当に悔しかったです……。今年は「アンパンマン」が巻き返してくれることを切に願います(レポートは5月発表予定)。

    さて、このアンパンマンですが、やなせ先生が50歳を過ぎてから創作したことは有名な話です。焼きあがるまでに時間がかかったとでも言いましょうか。「ビッグイシュー日本版」42号(2006年)のスペシャルインタビュー「やなせたかしさんとアンパンマン」の中でも、やなせ先生(当時86歳)はそのことについて下記のように語っていらっしゃいます。

    58歳でアンパンマンがヒット、69歳でアニメ化。普通ならもう引退する歳だよね。僕は人一倍ノロマで怠け者だから、人が一日でやることが1ヶ月かかるのよ。

    やなせ先生流の言い回しですが、しかし誕生までになぜ、そんなに時間がかかったのでしょう? それを読み解くための2つの本をご紹介します。

    ▼1つ目はやなせ先生が77歳のときの、とてもウェットな作品です。

    アンパンマン伝説
    著者:やなせたかし
    発売日:1997年07月
    発行所:フレーベル館
    価格:1,980円(税込)
    ISBNコード:9784577018057

    やなせ先生は『アンパンマンの遺書』(1995年/岩波書店)、『アンパンマンとぼく』(2003年/講談社)、『人生なんて夢だけど』(2005年/フレーベル館)など自伝的作品がいくつもあり、この本もアンパンマンの創作エピソードを基本としながら、非常に自伝的な内容となっています。

    ▼特筆すべき点は全見開きのページが、すべてやなせ先生のポエムとイラストで彩られていることです。

    ampanman02©やなせたかし

    そして扉と目次を除いた全42ページのうち、アンパンマンの登場以前が描かれているのは6ページのみ。しかし、この6ページのウェットさが、本作の最大の魅力です。

    ぼくのぱっとしない人生の晩年に めぐりあったヒーロー アンパンマン 君に逢えてよかった 夕日よとまれ ほんのひととき ぼくが 君の伝説をかき終わるまで (「プロローグ 夕日の歌」より抜粋)

    人生はいつも解らない 未来のことは解らない 誰も認めなかったこの絵本を 最初に認めたのは誰だったのか (「最初の絵本」より抜粋)

    詩人・やなせたかしの本領です。やなせ先生が「アンパンマンのヒットは運によるもの」と思っていたことが伝わってきます。

    ▼もう1つの本は、自伝ではなく評伝です。

    やなせたかし
    著者:筑摩書房
    発売日:2015年11月
    発行所:筑摩書房
    価格:1,320円(税込)
    ISBNコード:9784480766342

    「中高生向けの伝記の新スタイル」を目指した筑摩書房の〈ポルトレ〉からの一冊で、表紙イラストは寺田克也先生が担当なさっています。

    主人公の「たかし」は大正8年に東京で生まれ、父親の死、母と弟との離別、伯父宅への居候と弟との再会、憧れの美大での生活を経て、戦前・戦中を迎えます。そして終戦を迎えたのは、たかしが27歳のときでした。あらためてその年齢に驚きます。その後、あの有名な三越の包装紙ロゴをデザイン、まさかの彼女からの逆プロポーズ、作詞を手掛けた「手のひらを太陽に」、宮城まり子や永六輔、立川談志、青島幸男といったの昭和のスターたちとの交流、ボニージャックスがフレーベル館に持ち込み絵本化された『やさしいライオン』といった数々のエピソードが並び、たかしは大正・昭和・平成の3つの時代を生きて、94歳で亡くなります。

    本作と『アンパンマン伝説』の大きな違いは、「アンパンマン登場以前/以降」の構成が逆だということです。そして『やなせたかし』ではなんと、7章立て構成の第7章でやっとアンパンマンが登場するのです。

    「アンパンマン登場以前/以降」が揃ったこの2冊を読むと、あらためて、やなせ先生のベースは絵本作家ではなく漫画家で、そして「漫画家であること」を大切になさっていたのが分かります。『アンパンマン伝説』のあとがきにはこうあります。

    ぼくは二人(手塚治虫氏、藤子・F・不二雄氏)よりも年長だが、子どもの夢を守る仕事は、ぼくが引き継いでいかなくてはならないと思っている。出発の遅かったぼくの仕事は、これから始まる。

    漫画家としての誇りが伝わってくる言葉です。また「MOE」2004年1月号(白泉社)では、「好きな作家」についてこのようにコメントされています。

    自分以外の作家は全部尊敬しています。しいてあげれば馬場のぼるさんかな?とてもかないません。

    このコメントを見たとき、やなせ先生の「漫画家へのこだわり」を改めて感じたのでした。それは馬場のぼる先生が、やなせ先生同様に、漫画家であり(漫画ではなく)絵本で成功された方だからです。

    2冊を読んで分かる、「20代を戦争に奪われたこと」「漫画家へのこだわり」「他人から頼まれると断れない優しさ」「運を呼び寄せたタイミング」。結果的にこれらが、アンパンマンが焼きあがるまでに時間がかかった理由なのではないかと思います。そして、これだけ時間がかかったから、温度(人気)も下がらないのだと思うのです。

    それにしても「人を喜ばすことが生きがい」と公言し、ずっと売れなかった漫画家が、「人生の晩年」(ではなく中盤だったのですが)で出合ったのが、後に国民的知名度を持つに至る「自分の身を分け与えるヒーロー」だったという事実には、心が「元気100倍」になりますね。




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