• fluct

  • 『稚児桜』澤田瞳子インタビュー:能の名曲を下敷きに“人間の情念”を描く

    2020年07月15日
    楽しむ
    ほんのひきだし編集部 猪越
    Pocket

    奈良時代のパンデミックを扱った『火定』や奇才の画家を描いた『若冲』など、骨太の歴史小説で知られる澤田瞳子さん。第163回直木賞候補作『能楽ものがたり 稚児桜』は、これまでの作品とは趣を異にする短編集です。

    「能」の名曲に着想を得て生み出された8編を収録した本作。学生時代から能に親しんできたという澤田さんに、能の魅力から本作に込めた思いまでを語っていただきました。

    澤田瞳子(さわだ・とうこ)
    1977年、京都府生まれ。同志社大学大学院文学研究科博士課程前期修了。2011年、デビュー作『孤鷹の天』で第17回中山義秀文学賞を最年少受賞。13年『満つる月の如し 仏師・定朝』で第2回本屋が選ぶ時代小説大賞、第32回新田次郎文学賞、16年『若冲』で第9回親鸞賞、第5回歴史時代作家クラブ賞、20年京都市芸術新人賞を受賞。

     

    これまでの作風とは“真逆”の時代小説で人間模様を描く

    ――第163回直木賞候補作である本作ですが、ノミネートは『若冲』(第153回)、『火定』(第158回)、『落花』(第161回)に続き4回目となりますね。

    これまで候補にしていただいた作品は史実を背景とした歴史小説が多かったのですが、この『稚児桜』は歴史的なバックボーンを持たない、まったくの時代小説です。私自身、書き手として歴史小説の大作を求められているのかなと思っているのですが、本作はそういった作品とは真逆にあります。

    いろいろな時代やタイプの作品にチャレンジしていきたいと思っている中での本作のノミネートなので、賞の結果にかかわらず、選考委員や読者の方がこの作品をどのように読んでくださるのかなということに関心があります。

    ――能にはよく幽霊など人ならざる存在が登場しますが、本作ではそういったキャラクターは登場しませんね。1話目に登場する「山姥」も人間として描かれています。

    古代小説を書いてきたことにも関係するのですが、古い時代は非論理的だと受け止める方もいらっしゃると思うのです。たとえば奈良時代はすべて呪術で方が付くとか、人々も文明も未開のままだと思われているきらいがあるのですが、資料を読み解いていくとそんなことはありません。病院に近いものもあるし、お医者さんもいた。数学や倫理学に近い、論理的な思考があった時代でもあります。

    そういった中で、私は古代を書く時にオカルトには逃げまいと思っています。幽霊や妖怪が出てきて解決するようなことはせず、ずっと人間を書いていきたいなと。今回も能の世界を書いていますけれど、その思いはどの時代が舞台でも変わりません。

    今回は1話あたりの枚数が少ないので、その中でどれだけストーリーや人物を動かしていけるのかという勢いを重視して書いたところがあります。長編の場合は社会情勢など歴史的な動きも入れたくなるのですが、本作はそういう面は極力排除して、なるべく人間模様の部分を読んでいただければなと思っています。

    ――確かに一編が約30ページと、かなり短めですね。

    いまの歴史・時代小説の短編は60~70枚という作品が多いのですが、1話36枚という構成で書かせていただいています。新たな挑戦として自分自身も楽しんで書くことができたので、思い入れのある一冊となりました。

    タイトルに「能楽ものがたり」とはありますが、お能を好きな方はもちろん、まったくご存じない方でも独立した作品として読んでいただければと思います。

     

    原曲の“器”を借りて、人間の内面を描く

    ――各編では人間のたくましさを感じる一方、復讐や嫉妬、欺瞞など怖さややるせなさを感じさせる作品が多いように思いました。元となった演目もそのようなものが多いのですか?

    それぞれ原曲の雰囲気は意識していません。能の楽曲というのは、幽霊が出てくるお話でも最後は成仏して消えていくなど、大団円ではなくとも比較的ハッピーエンドに近いものが多いです。しかし本作はわりと暗い、「こうなってしまうのか」という話は確かに多いかなと思います。

    たとえば「稚児桜」の原曲である「花月」は、華やかで芸尽くしを見せる少年・花月が生き別れになっていたお父さんと巡り合えて、めでたしめでたしという話ですが、私には主人公の自主性を排除したような曲にも感じられます。

    天狗にさらわれたと原曲では描かれていますが、おそらく花月は人買いに売り飛ばされて、九州から京都に来た。そんな運命を辿ってきた少年が素直で何も考えていないわけはないので、その彼の内面を書きたいと思いました。

    主人公が清水寺のお稚児さんであるという器は借りていますけれど、原曲をそのまま小説に翻案するのではつまらない。せっかくいい材料があるのだから、「まずはこの材料で何が作れるかな」「中華料理の材料を出されたけれど、フレンチを作ってみよう」といった気持ちで書いていますね。

    ――取り上げられた8曲はどのように選ばれたのですか?

    もともとが雑誌連載でしたので、発売のタイミングに合わせて春夏秋冬を意識しています。春には春の曲を、夏には夏の曲の中から選び、2年で8曲を取り上げました。

    ――収録作の中で、ほかにご自身で印象深い作品はありますか?

    「小狐の剣」はやりたい話(原曲「小鍛冶」)のほうが先にあって、本来の主役である刀匠ではなく、その娘を主人公にしています。書いている途中で絶対にこれは36枚には収まらないなと思いつつ、いかにまとめるかに苦心した作品です。

    「鮎」(原曲「国栖(くず)」)のときには、壬申の乱を小説にする気はまったくなかったのですが、いま毎日新聞で連載している「恋ふらむ鳥は」は将来的には関連してくるので、「しまった、もうちょっとこちらに伏線を張っておけばよかった」と激しく後悔しています(笑)。

    【収録作】
    1「やま巡り」―遊女・百万と小鶴は雪山で怪しげな老婆と出会い、一夜の宿を借りることに……。(原曲『山姥』)
    2「小狐の剣」―刀工・小鍛冶宗近の娘・葛女は、父を裏切った弟子の子を身ごもったことに気づき……。(原曲『小鍛冶』)
    3「稚児桜」―清水寺の稚児としてたくましく生きる花月。ある日、自分を売り飛ばした父親が突然面会に現れて……。(原曲『花月』)
    4「鮎」―天下を取るべく隠棲先の吉野で挙兵した大海人王子。間諜の蘇我菟野は都に急報を告げる機会を窺うが……。(原曲『国栖』)
    5「猟師とその妻」―山で出会った男から「自分は死んだと妻子に伝えてほしい」と頼まれた僧・有慶。その身勝手さに憤りながらも、残された家族の心細さを思い、陸奥へ旅立つことに。(原曲『善知鳥』)
    6「大臣の娘」―義母に疎まれた姫君を密かにかくまう乳母・綿売。ある日、偶然再会した生き別れた娘に秘密を打ち明けてしまう。(原曲『雲雀山』)
    7「秋の扇」―遊女・花子は、かつて愛を交わした吉田の少将を追って京へ。形見の扇を手に下鴨神社に現れる姿が評判となるが……。(原曲『班女』)
    8「照日の鏡」―高名な巫女・照日ノ前に買われた醜い童女・久利女。翌日、生霊にとりつかれた光源氏の妻・葵上のもとに連れていかれる。(原曲『葵上』)

    〈淡交社 公式サイト『能楽ものがたり 稚児桜』より〉

     

    「言葉の美しさ」と「現代劇のおもしろさ」が能の魅力

    ――学生時代から能に親しんでいらっしゃるとのことですが、どのように能と出合ったのですか?

    高校の時に古文書を読むカルチャーセンターに通っていたのですが、その講師の先生の奥様が女流能楽師の方で、チケットをいただいて舞台を観に行きました。そしたら全然わからなくて、すごく退屈でして(笑)。

    でも長い間続いてきた芸術ですし、お稽古している人もたくさんいらっしゃるのだから、きっとこれはおもしろいに違いない。そこで「おもしろがれる基礎がない」というのが残念で、大学では能楽部に入部しました。

    ――澤田さんにとって能の一番の魅力はどこにあるのでしょうか。

    私が一番好きなのは、言葉の美しさです。能には舞台装置がなく、背景が変わるわけでもないのですが、山の中の静かな月景色や晴れやかな宮殿の様子など、「数少ない言葉の中でこれだけの光景が説明できるのか」というところにまず惹かれます。

    そして、その楽曲が書かれた当時の「現代劇のおもしろさ」というのでしょうか。当時の人たちはこういう場面を楽しんだり、悲しんだり、感情移入したのだろうなと推し量れるところがおもしろいと思っています。

    ――本書の出版元である淡交社は、茶道を軸にした出版社として知られています。淡交社から直木賞の候補作が出たのは1957年の受賞(今東光『お吟さま』)より63年ぶりだそうですね。

    京都で生まれ育ち、茶道を習っていたこともあって、私にとっては地元のなじみ深い出版社さんです。しかし、候補作が発表されたときには、Twitterなどでも「淡交社ってどんな出版社?」という声を見かけました。その一方で「あの淡交社?」という声もありましたね。

    日本は東京の一極集中という傾向がありますが、最近は地方の出版社もすごく元気ですし、独自の書店を地方で展開なさるところも増えてきました。そういう出版文化の広がりとして、ひとつ形になったのかなというのはうれしいですね。

    ――澤田さんは、常々「長く書き続ける作家でありたい」とおっしゃっていますが、そこにはどのような思いが込められているのでしょうか。

    歴史を過去からたどっていくことで、現代や未来が見通せるようになるのではないかという思いがあり、ずっと書き続けていきたいなと考えています。律令制の時代が崩れて武家の世界になってという流れを見てきますと、日本という国の形や、基本の部分にあるものは何かというのが見通せる気がするのです。

    そういった意味で、これからもいろんな時代を少しずつ書いていくことで、日本史というものを埋めていければいいなと思っています。

    稚児桜
    著者:澤田瞳子
    発売日:2019年12月
    発行所:淡交社
    価格:1,870円(税込)
    ISBNコード:9784473043597

     

    あわせて読みたい

    “3分の1立ち入り禁止”の書店から澤田瞳子さんが受け取ったもの

    第163回直木賞候補に5作 『雪の鉄樹』『オブリヴィオン』の遠田潤子が初ノミネート




    タグ
    Pocket

  • GoogleAd:SP記事下

  • GoogleAd:007

  • ページの先頭に戻る