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昨年、第10回山田風太郎賞を受賞した『欺す衆生』をはじめ、裏社会の闇を描いたハードボイルド作品で知られる月村了衛さん。6月に発売された『奈落で踊れ』も、霞が関を舞台に新たな“ダークヒーロー”が登場するピカレスク小説です。
そんな月村さんは、子どものころからずっと書店に通い続けてきたそう。これまでの書店にまつわる思い出と、コロナ禍のいま思うことについて綴っていただきました。
月村了衛
つきむら・りょうえ。1963年大阪府生まれ。早稲田大学第一文学部文芸学科卒。2010年に『機龍警察』でデビュー。2012年に『機龍警察 自爆条項』で第33回日本SF大賞、2013年に『機龍警察 暗黒市場』で第34回吉川英治文学新人賞、2015年に『コルトM1851 残月』で第17回大藪春彦賞、『土漠の花』で第68回日本推理作家協会賞、2019年に『欺す衆生』で第10回山田風太郎賞を受賞。
私に限らず、子供にとって世界はとても狭い。自分の家、友達の家、学校、町内とその周辺。それですべてだ。
幼少期の私にとって、書店とは……いや、そんな言葉は使わなかった。みな「書店」ではなく「本屋」と呼んでいた。本屋とは駅近くのアーケード商店街にあるH書店のことだった。典型的な間取りのごく狭い店である。学校の図書室にある本に飽きた私の行き場は、このHしかなかった。電車で2駅ばかり先のターミナル駅に行けば大手有名書店もあったのだが、小学校低学年の身ではそんなことは知る由もない。
必然的に私はHで連日立ち読みに耽った。本を好きなだけ買う財力などとてもなかったからだ。今はもう絶滅したが、昔のマンガによくあった描写で「立ち読みをしていると店主がわざとらしくハタキを掛けてくる」というのがある。私は実際にこれを何度もやられた。しまいには「買わないなら帰れ」「いいかげんにしろ」「親を呼ぶぞ」などと叱られ、追い出された。それでも懲りずに通い続けるしかなかった。
私が小学校に上がると同時に放映の始まった「サザエさん」に、「立ち読みの天才」という回があった。カツオ君が近所の本屋であの手この手で立ち読みをするというエピソードだ。その手口をまね、片手に五百円札をこれ見よがしに持って立ち読みをしてみた。まったく通用せず、読んでいた本は取り上げられた。
こうして書いているだけで胸が苦しくなってくる。当時の私の切実さを分かってもらえるだろうか。本がないと生きていけない子供。どんなに罵られ、嫌がられようが、私はその店に行くしかなかったのだ。
4年生くらいになった頃、その商店街に新しい本屋がオープンした。「Nブックセンター」という店名で、Hより少しだけ広く、明るかった。店内のレイアウトも新しかった。私は当然の如くNに河岸を変えた。
ここでもすぐに顔を覚えられ、迷惑がられ、追い出された。Nの開店以来、Hの方は少し客が減ったようだった。Nで星新一『進化した猿たち』を読破したが、中学生になってから同店で全巻買った。
もっとも、高学年になる頃にはターミナル駅の大手書店や公立図書館にも自力でアクセスできるようになり、近所の商店街に行く回数も減っていった。
ちなみに人生で最初に買った文庫本は、春陽文庫の江戸川乱歩だった。5年生か6年生のときで、購入店はN。『陰獣』『虫』『お勢登場』といった作品は当然ながら児童書では読めなかったからだ。今では信じられないことに、文庫本であるにもかかわらず2段組みであった。自慢ではないが、現在の私にはとても読めない。「最近の文庫は活字が大きくて好かない」などと嘯いていたかつての自分に教えてやりたい。
Nでは他に新潮文庫もよく買った。『牛肉と馬鈴薯・酒中日記』『海辺の光景』『暢気眼鏡』など、題名と作者名だけのシンプルなあの旧装幀バージョンが新装幀版と並んで残されていたのだ。その美しさたるや!
中学生の頃からこうした文庫を買い始め、高校の頃は大手書店や古書店に寄り道し、大学生になると朝から古本市の行列に並ぶようになった。30代では、今はなき池袋の芳林堂でいくら使ったか見当もつかない。結婚後は「また鞄をパンパンにして帰ってきた」と妻によく呆れられた。
20年ほど前、実家に戻ったときにあの商店街に行ってみた。往年の活気は失われ、多くの店がシャッターを閉じたままになっていた。Nは消滅して跡形もなく、ただHだけが内装を変えて営業していた。店内に客は一人もいなかった。
そして現在は、業種にかかわらず新型コロナで大変な時期だ。私にとって、町から書店が消えた風景ほど寂しくも悲しいものはない。書店という〈場〉を維持するために、自分に何ができるのか。日々そんなことを考えずにはいられない。
1998年ノーパンすき焼きスキャンダル発覚、大蔵省設立以来最大の危機が訪れる。黒幕の大物主計局長、暴力団幹部、総会屋総帥、敏腕政治家らの思惑が入り乱れるなか、 “大蔵省始まって以来の変人”霞が関のダークヒーロー・香良洲圭一が現れた!
驚愕のラスト、香良洲の決断に読者は震撼する!!
前代未聞の官僚ピカレスクロマン〈朝日新聞出版 公式サイト『奈落で踊れ』より〉
(「日販通信」2020年7月号「書店との出合い」より転載)
・ロッキードから金正男密入国まで…昭和の裏面史を描く公安ミステリー!月村了衛『東京輪舞』
・月村了衛が描く「日常のハードボイルド」!最新刊『追想の探偵』のヒロインは、実在の雑誌編集者がモデル