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  • “3分の1立ち入り禁止”の書店から澤田瞳子さんが受け取ったもの

    2020年05月09日
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    日販 ほんのひきだし編集部「日販通信」担当
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    疫病の蔓延を食い止めようとする医師たちの闘いを描いた『火定』をはじめ、本格時代小説の書き手として注目を集める澤田瞳子さん。4月27日に発売された新刊『駆け入りの寺』は江戸時代中期の京都を舞台に、尼寺で暮らす元皇女が現世の人々を苦しみから救う、慈しみに満ちた短篇集です。

    骨太でありながら、人間模様を細やかに写し出す澤田さん。そんな作家が少女時代に通ったのは、なんと“3分の1が立ち入り禁止”の書店だったそう。当時の思い出とともに、本への熱い思いが伝わるエッセイを寄せていただきました。

    澤田瞳子
    さわだ・とうこ。1977年、京都府生まれ。同志社大学文学部文化史学専攻卒業、同大学院博士課程前期修了。2010年、『孤鷹の天』で小説家デビュー。11年、同作で第17回中山義秀文学賞を最年少受賞。12年、『満つる月の如し』で第2回本屋が選ぶ時代小説大賞、13年、同作で第32回新田次郎文学賞受賞。16年、『若冲』で第5回歴史時代作家クラブ作品賞、第9回親鸞賞受賞。近書に『月人壮士』『名残の花』『稚児桜』などがある。

     

    3分の1のこちらがわ

    一人で本屋に行くようになったのは、中学生になったのがきっかけだった。通学に使うバス停の近くには、2軒の書店。学校の周囲にも歩ける範囲で書店が4軒あり、通学に併せてそのうちのどこかに立ち寄れるのが、少し大人になったようで嬉しかった。

    中でも一番のお気に入りは、バス停横の24時間営業の書店。今から考えると、その店の売り場の3分の1ほどは真っ黒な幕で区切られ、大人の男性がいつもこそこそとそこを出入りしていた。時折ちらりと見えるその向こうは肌色とピンク色の目立つ本が置かれ、不思議に女性の姿はなかった。書店にしては珍しい営業時間はそのあたりにも理由があったのだろうが、当時の私は皆目頓着していなかった。

    なにせ、24時間営業である。前夜のうちに手許の本を読み切ってしまった日も、朝一番にそこに駆けこめば、新しい本を入手し、それを読みながら通学できる。楽しみにしていた新刊だって、発売日の朝、登校前に買えるのだ。

    実際は勢い込んで早朝に駆け込んでも、目当ての新刊が見つかることは稀だった。大抵は学校帰りにもう一度立ち寄らねばならず、今になればそれは搬入時間の関係だったと分かる。しかし当時の私には、そんなことは些細な話だった。ただいつでも本が買える場所がある。それがただただ幸せだった。

    置かれているマンガは裸体のカバー絵が妙に目立ったし、他の書店ではあまり見た記憶のないオカルト系雑誌が「週刊文春」や「ジャンプ」と並べて売られていた。その一方で、書棚の高い人文科学書コーナーには全集がずらりと揃えられ、各社のリーフレットが棚から美しいネックレスのように下げられていた。

    今でもよく覚えている。店の右奥は、文庫スペース。何気なく―本当に気まぐれに手に取った新井素子さんの『グリーン・レクイエム』に衝撃を受け、読み終わった後も毎日毎日、通学カバンに入れ続けた。おかげでカバーは擦り切れ、袖がほとんど取れそうになった頃、単行本コーナーに続編の『緑幻想』を見付けた。

    インターネットなぞ存在しなかった、30年近く昔の話である。『グリーン・レクイエム』に続編があるなぞとは思いも寄らなかっただけに、幾度も本をひっくり返した挙句、夢ではないかと疑いながらレジに持って行った。心臓が痛いほど高鳴り、すぐに家に走って帰りたいとの焦りで足がもつれた。この本を見付けさせてくれてありがとう。そう叫び出したい思いがした。

    私が高校を卒業する少し前から、店の棚が少し変わってきた。真っ黒な幕が少し手前に広がり、まず突き当り左手の理数系書籍コーナーがなくなった。『列仙伝・神仙伝』や『山海経』を見付けた平凡社ライブラリーコーナーもいつしか消え、やがて文庫・新書・単行本を置いていたエリア全体が黒い幕に飲み込まれた。24時間営業は続いていたが、はっきりと立ち寄りづらい雰囲気が店全体に漂い始め、私の足は少しずつ遠のいた。ひっそりとその店が閉店する、直前の出来事だった。

    あれから四半世紀近くを経た今でも、私の頭の中にはかつての店の光景がありありと浮かぶ。吉村昭さんの『密会』を見付けたのは、『グリーン・レクイエム』を手に取った棚のすぐ横。創刊されたばかりの角川ホラー文庫の新刊を毎月嬉々として物色したのは、その裏。もう一列壁際の人文科学書の棚は憧れとともに仰ぐばかりだったが、美術書コーナーではえいやっと清水の舞台から飛び降りる覚悟で、林完次さんの『宙ノ名前』を買った。

    あの書店はもうないけれど、3分の1立ち入り禁止の店が私に与えてくれたものは、手放すことのできぬ大切な宝物だ。だから私の中に、今もあの店は生きている。これから先も、ずっと。

     

    著者の最新刊

    駆け入りの寺
    著者:澤田瞳子
    発売日:2020年04月
    発行所:文藝春秋
    価格:1,925円(税込)
    ISBNコード:9784163911953

    落飾した皇女が住持を務める比丘尼御所。
    そのひとつである林丘寺では、前住持であり後水尾帝の皇女・元瑶と、
    現住持である霊元帝の皇女・元秀を中心に、宮中と同じような生活が営まれていた。
    尼たちの平穏で優雅な暮らしのなかに、
    ある日飛び込んできたのは「助けてほしい」と叫ぶ、若い娘だった――。
    現世の苦しみから逃れた、その先にあるものとは何なのか。
    雅やかで心に染み入る連作時代小説。

    〈文藝春秋BOOKS『駆け入りの寺』より〉

    (「日販通信」2020年5月号「書店との出合い」より転載)




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