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“昭和40年生まれ限定”という類を見ないコンセプトが特徴の情報誌「昭和40年男」。2019年10月には兄弟誌「昭和50年男」が創刊されるなど、“俺たち”というキーワードが共感を得て、着実に広がっています。
そんな異色の雑誌はいかにして生まれたのでしょうか。創刊から編集長を務める北村明広さんに、エッセイをお寄せいただきました。
年齢限定雑誌というアイデアは、テストも兼ねて発行した2009年の10月よりもずいぶん以前に浮かび、でもなかなか実現できないでいました。これまでも多くの雑誌を手がけてきたのですが、それはほとんどがバイク雑誌で、違うジャンルに可能性を見出したいと2006年に音楽雑誌を刊行しましたが、苦戦を強いられていたのです。
発案者としては「年齢限定は絶対にイケる」と確信を持っていましたが、音楽誌を軌道に乗せなければならない編集長の私が、さすがに「『昭和40年男』を出すぞ」とは宣言できません。悶々としながらも奮闘していましたが、石の上にも3年を信条とするしつこい巳年の私もとうとう諦めました。
ちょうど3年の闘いを終えて、一念発起して「昭和40年男」創刊に踏み切ったわけです。ホームランとはいきませんでしたが、継続する価値を十分に感じさせる数字が出て、ほっと胸をなでおろした日の喜びは今も忘れられません。
▼創刊号の表紙
全く新しいジャンルの雑誌になるのだから、派手な広告を展開したいところですが、小さな出版社にとってそれは無理。となると勝負はともかく書店棚なんだと工夫を凝らしました。雑誌名は何よりもインパクトありきで「昭和40年男」にしました。
巻頭特集は常に斬新なテーマで組み、「そうきたか」というビジュアルとで瞬間的に手が出るような表紙を目指しています。また、創刊よりしばらくは「今、この本を手にしているあなたへ」と題して、巻頭ページを使って檄文を掲載していました。書店で思わず手が出て立ち読みを始めた方に向けて、なぜこの本が生まれたのかを発案者の言葉で綴り、親近感を得てもらおうとしました。
加えて、“我々世代こそが社会の中間管理職者”だとか、“懐かしいと感じるネタが多いが、郷愁ではなく当時の熱を今の社会へと活用するべきだ”と、この雑誌の狙いを訴えました。
俺たちという共感を随所に入れ込んだのも、そんな工夫のひとつです。昭和40年男は、沈まない太陽が照り続ける国の勢いを感じながら、多感な時代を過ごすことができた。そしていわゆるバブル時代に社会に出た、どんな世代よりも幸せな“俺たち”なんだと発信しました。そんな幸福な自分自身のための雑誌で、そして俺たちのための雑誌なんだと感じてもらうことが熱狂を生むのだと言い聞かせながらの作業でした。
共感を呼ぶ身近な存在になろうと、Webサイトからは「編集長のつぶやき」というタイトルで毎日赤裸々に自分のことを垂れ流し、リアルのところでは「秘密基地」と称して、毎週飲み会を開催しています。
誌面から夢も語りました。いつかたくさんの年齢でシリーズ化して書店の棚をドーンと奪うんだと。その最初が俺たち昭和40年男というのは必然なんだ、共に前へ進もうとメッセージしました。
ですが、夢は容易に叶わないから夢なんだと痛感した10年です。なかなか次の一歩が踏み出せないままでしたが、去年秋の10周年という節目をエネルギーにして、「昭和50年男」を増刊で出版しました。昭和40年生まれより人口が多いのと、すでに「昭和40年男」という世界が浸透していたからでしょうか、10年前の闘いよりは順調な滑り出しになりました。
そして、1+1が3にも5にも感じている今日、異業種からのご提案が舞い込んできています。雑誌ブランドがハブになり、Webやイベント、その他さまざまなアウトプットによって世界観を形成するというのは、私がいつもイメージしているコミュニケーションのカタチです。そのど真ん中には、どんなに時代が変わろうとも雑誌なんだと言い続けたいと望む自分がいます。私は雑誌ジャンキーなのであります。これで人生をまっとうしたいと夢描いてます。
クレタパブリッシング「昭和40年男」編集長
北村明広 KITAMURA Akihiro
1965年、東京都生まれ。広告代理店勤務を経て、1991年に会社を設立。数々のバイク雑誌を立ち上げ、2009年に「昭和40年男」創刊。
(「日販通信」2020年5月号「編集長雑記」より転載)