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ユル~いツイートで話題となった元”NHK_PR 1号”であり、現在は作家としても活躍中のクリエーター・浅生鴨さん。オリンピック・パラリンピックイヤーの今年、視覚障害のある競技者に伴走する人を描いた『伴走者』がドラマ化されることでも話題になっています。
そんな浅生さんには子どものころ、本への興味が深まる、ある素敵な出会いがあったそう。そんな“書店のお姉さん”との素敵なエピソードについて、エッセイを寄せていただきました。
浅生 鴨
あそう・かも。1971年、兵庫県生まれ。作家、広告プランナー。NHK職員時代の2009年に開設した広報局Twitter「@NHK_PR」が、公式アカウントらしからぬ「ユルい」ツイートで人気を呼び、中の人1号として大きな話題になる。2014年にNHKを退職し、2019年11月現在は執筆活動を中心に広告やテレビ番組の企画・制作・演出などを手がけている。著書に『中の人などいない』『アグニオン』『猫たちの色メガネ』『伴走者』『どこでもない場所』『雑文御免』『うっかり失敬』などがある。
神戸は都会なのだけれども、僕の育った山のあたりにはほとんど店がなく、もちろん書店だってなかったから、ぶらりと近所の書店を覗くなんてことはできなくて、街に出たらいつも何軒かの書店を回っては、学校でも図書館でも見たことのない本がずらりと並んでいる棚を夢中になって眺めていた。
山を降りた麓にある阪急電車と国鉄の――当時はまだJRではなく国鉄だった――それぞれの駅のそばに一軒ずつ書店があって、どちらにもよく立ち寄っていた。もう名前は覚えていないけれども、国鉄のそれは大きなチェーン店で、ビルのワンフロアすべてを占めているのに対して、阪急にある書店は個人経営の小さな店だったと思う。
自分の小遣いで初めて本を買ったのは阪急の店で、何日も通っては棚を眺めるものの、僕はなかなかその中から一冊を選んで買うだけの勇気を出せずにいた。
しょっちゅうやって来るのに立ち読みするわけでもなく、いつも児童書の棚の前に立ってじっと背表紙を眺めているだけの小柄な男の子のことは、さすがにアルバイトの書店員も気になっていたらしい。
「どれが欲しいん?」ある日、ついに声をかけてきた。
とつぜん大学生のお姉さんから声をかけられた小学5年生が、まともに答えられるはずもない。
「あ、えーっと、あれ」
僕はただドギマギしながら、それまで何度も図書館で借りて繰り返し読んでいたシートンの『動物記』を指さした。本当はケストナーの『エミールと探偵たち』が欲しかった。あの本が自分のものだったら、ずっと返さなくてもよければ、どれほど楽しいだろう。けれども『エミール』では、お姉さんに子供っぽいと思われるような気がして、何度も読んでよく知っている『動物記』ならいいだろうと、中途半端にマセた小学生らしい見栄を張ったのだった。
「ふーん。そうなんやね。これは?」
お姉さんは僕の指を完全に無視して一冊の本を棚から抜き出した。
「これ、読んだことある?」
「ない」知らない本だった。
「おもしろいんよ、これ」
彼女が渡してくれた本は立派な函に入っていて、普通の本とは違う、何か特別な本のように思えた。
『ドリトル先生アフリカゆき』函にはそう書かれていた。お姉さんは函から本を取り出した。表紙には動物の線画と塗りつぶされた升目が市松模様になっている。
「ほら、このデザインきれいでしょ?」
確かにきれいな本だと思った。それまで僕は装丁を意識したことなどなかったから、彼女に言われて初めて本にはデザインがあることに気づいたのだった。
「あとこれね、翻訳が井伏鱒二なんよ」
イブセマスジが何なのかはわからなかったけれども、お姉さんはその本がとても好きなのだということだけは僕にもわかった。そして、とにかくこの本を僕に読ませたいのだなということもわかった。
「えっと、それください」
「ほんまに?」お姉さんの顔が嬉しそうになった。
「ぜったいおもしろいから」笑顔のままそう言う。
「はい」
小学生にとってけっして安くはない金額の本を、僕は言われるがまま買い、やがて僕は『ドリトル先生』のシリーズに夢中になった。なぜ彼女が僕にあれをすすめたのかは今でもわからないが、その見立てに間違いはなかった。彼女がいつその書店を辞めたのかはっきり覚えてはいないけれども、その後も何度かおすすめの本を教えてもらったことは覚えている。
きっと彼女は本好きの子供を増やしたかったのだろう。あなたのその目論見は、まんまと成功したよ。
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〈大和出版 公式サイト『だから僕は、ググらない。』より〉
(「日販通信」2020年2月号「書店との出合い」より転載)
・浅生鴨原作ドラマ「伴走者」に吉沢悠、市原隼人 戦力外通告のランナーと、視力を失った元サッカー選手を演じる
・『伴走者』ってどんな人? 元@NHK_PRの“中の人”浅生鴨が描く「他人の勝利のために戦う人々」:インタビュー【前編】