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昨年12月16日(月)、第162回直木賞の候補作が発表されました。
多くのメディアで、湊かなえさん以外の4名が直木賞初ノミネートであることがトピックスとして取り上げられていますが、筆者は今回、小川哲さんが候補に挙がっていることに注目しました。
すでにご存じの方も多いことと思いますが、小川さんはSFの領域を中心に活躍する作家です。高度に発達した情報管理社会を描く『ユートロニカのこちら側』が、第3回ハヤカワSFコンテストで大賞を受賞してデビュー。続く『ゲームの王国』では、「ゲーム」が史実のカンボジアと近未来を繋ぐという奇想で第38回日本SF大賞を手にしています。
そして今回直木賞の候補となっている『噓と正典』も、程度は抑えめですがSFであるといってよい内容です。
必然的に思い出されるのは、「直木賞はSFに対する評価が低い」という言説。
判断は慎重に下さなければなりませんが、実際にSF小説が直木賞を受賞した例は、筆者の知る限りでは景山民夫さんの『遠い海から来たCOO』のみです(第99回直木賞を受賞)。候補に挙がること自体はままあり、かつては小松左京さん・星新一さん・筒井康隆さん、近年では宮内悠介さん・上田早夕里さんなどがSF小説(少なくともSF色の強いもの)でノミネートされましたが、結果としては落選しています。
筒井さんの『大いなる助走』が、3度にわたり直木賞を逃したことを受けて書かれたものではないか、と推察されているのをご存じの方も多いでしょう。
六千万年以上も昔に絶滅したはずのプレシオザウルスの子を発見した洋助。奇跡の恐竜クーと少年とのきらめく至福の日々がはじまったが……。(KADOKAWA公式サイトより)
同人誌「焼畑文芸」に載った処女作がヒョンなことから「直廾賞候補」となった市谷京二。周囲の羨望と冷笑、「カモ」を待ち受ける作家、編集者たち。受賞めざして繰り広げられる駆け引き、陰謀の末の悲劇! ブンガクをめぐる狂乱と欺瞞を徹底的にカリカチュアライズして描き文壇を震撼させた猛毒性長篇小説。(文藝春秋BOOKSより)
しかし、仮に「SFは直木賞において不利だ」という言説が真実だとしても、ここ最近は、文壇の風向きが変わってきたのかもしれないと感じさせられる出来事がいくつかありました。
吉川英治文学新人賞では、第38回(2017年発表)から3回連続でSF度の高い作品が受賞に至っています。
第38回は宮内悠介さんの『彼女がエスパーだったころ』、第39回は佐藤究さんの『Ank: a mirroring ape』、最新の第40回は藤井太洋さんの『ハロー・ワールド』がそれぞれ賞を獲得。さらに、前述した小川哲さんの『ゲームの王国』は、2018年の第31回山本周五郎賞を受賞しています。
SF作品を対象とした日本SF大賞や星雲賞だけでなく、広く文芸作品一般を扱う文学賞においてもSFが評価されるようになってきたといえるでしょう。
少し話が飛びますが、いわゆる“ジャンルもの” ──SF・ファンタジー・ホラー・ミステリーなど、その作品の特徴的な要素によって分類されることの多い作品群── の賞レースにおける苦戦は、日本の文学界に限ったものではありません。
世界で最も有名な映画賞のひとつであるアカデミー賞でも、実は似たようなことが起きています。一口にアカデミー賞といっても20を超える部門で構成されているわけですが、その中でも作品賞・監督賞・脚本賞・主演男優賞・主演女優賞は俗に主要5部門(ビッグ・ファイブ)と呼ばれ、作品の根幹に関わるものと見なされています。しかしSF・ファンタジー・ホラーなどに分類される“ジャンルもの”に、この主要5部門の賞が与えられることはめったにありません。
当然、例外はいくつかあります。ファンタジー映画である「ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還」は作品賞と監督賞を同時受賞していますし、ホラー・サイコサスペンスに分類される「羊たちの沈黙」は、作品賞・監督賞・主演男優賞・主演女優賞の4部門を勝ち取っています。ですがやはり、アカデミー賞の歴史を振り返るとあくまで“例外”といってよい事例数であり、ジャンル映画はノミネートこそされても受賞を逃すことが多いのです。
しかしアカデミー賞においても、近年、変化の兆しが見えています。
それを示すのが、2018年3月に発表された第90回アカデミー賞。ホラー映画「ゲット・アウト」が脚本賞を受賞、モンスター映画「シェイプ・オブ・ウォーター」が作品賞・監督賞を受賞しました。
多くの映画好きがするように、筆者も発表直前に受賞予想を立てていましたが、それまでのアカデミー賞の傾向を踏まえ、どちらも本命ではないだろうと考えていました。同じ年のアカデミー賞で複数のジャンル映画が栄誉に輝いたのは、作品自体がきわめて優れていたことは言うまでもなく、映画人たちの考え方が変わりつつあるのではないかと思っています。
このような変化がグローバルで起こっていることなのか、それとも単なる偶然の一致なのかは分かりませんが、いずれにせよジャンルにとらわれずに作品が評価されるようになるのはとても好ましいことです。なぜなら、物語の持つパワーは、そのジャンルによっていささかも減じられるものではないからです。空想性の高い設定が、直截的な表現よりも人の心をより大きく揺り動かすことはあります。たとえば「シェイプ・オブ・ウォーター」でヒロインと半魚人が愛を育むさまが、多くの観客に「他者と相互理解を深める姿」として伝わったように。
2019年は『三体』が日本でもベストセラーとなり、年明けには「文藝」2020年春季号(河出書房新社)で「中国・SF・革命」特集が組まれるなど、今日本ではSFブームが起こっています。
一人のSF好きとして『噓と正典』が選ばれると嬉しい、という気持ちは持ちつつも、それ以上に、「ジャンル分け」が読書の幅を狭めることなく、あらゆる作品が「枠」を超えて公平に評価されることを願っています。