• fluct

  • 「文庫X」と『殺人犯はそこにいる』が変えるもの

    2016年12月09日
    本屋を歩く
    さわや書店フェザン店 長江貴士
    Pocket

    取材などで、こういう質問をされる事が度々あった。

    「表紙を隠して売る本をどうやって選んだのですか?」

    そうじゃないんです、と毎回答えていた。「表紙を隠して売る」という企画が先にあって、後から作品を選んだんじゃないんです、と。『殺人犯はそこにいる』という作品がまず先にあって、この作品をどうやったら一人でも多くの人に届けることが出来るかを考えて「表紙を隠して売る」という売り方を思いついたのだ、と。「文庫X」という企画は、仕方ないことではあるが、「表紙を隠して売る」という部分に注目が集まってしまう売り方だ。しかし、本質はそこではない、と僕は思っている。『殺人犯はそこにいる』という作品が存在したこと。そしてその作品を売ると決めたこと。これが、「文庫X」という企画の本質であり、成功要因なのだと僕は断言できる。

    冒頭で僕は、「でも、感謝を向ける先は僕じゃない、という思いも、ずっと抱いていた」と書いた。この話に戻ろう。

    僕はこう考えている。
    感謝を向けるべきは、事件が起こってから、この事件・この作品に関わったすべての人に向けられるべきなのだ、と。そして、「文庫X」を買って読んで広めてくれたあなたもその中に含まれているのだ、と。

    僕は自分のことを、「人工衛星の発射ボタンを押した人」だと思っている。人工衛星というのは、数多くの人間が膨大な準備を重ねて発射に至る。実際に発射ボタンを押す人がどんな立場の人なのか僕は知らないが、当然、発射ボタンを押す人にその人工衛星プロジェクトのすべての賛辞を得る権利があるわけではない。発射に至るすべての準備に携わった全員にその賛辞は向けられるべきだろう。

    僕も同じ感覚を持っている。確かに僕は、発射ボタンを押したのかもしれない。僕がそのボタンを押さなければ、「文庫X」は生まれなかったかもしれない。だからと言って、発射ボタンを押しただけの僕に賛辞が向けられるのは違う、と思った。

    この事件・この作品には、当然のことながら多くの人が関わっている。警察という存在に様々な問題が投げかけられる事件だったとはいえ、事件発生から現場で足をすり減らして捜査を続けた多くの刑事がいる。真相究明を求めて立ち上がった遺族の方たちがいる。『殺人犯はそこにいる』の著者の奮闘は言わずもがなだろう。『殺人犯はそこにいる』が単行本で発売された時、絶対に売ってやると意気込んでいた多くの書店員がいる。『殺人犯はそこにいる』を取り上げた多くの書評家がいる。「文庫X」の企画に賛同してくれた書店員がいる。「文庫X」を取り上げてくれたメディアがいる。そして、「文庫X」を読んで、その趣旨を理解して、売る側と一緒になって「文庫X」を広めようとしてくれた読者がいる。

    彼らの存在なくして『殺人犯はそこにいる』という作品は存在しないし、「文庫X」という企画も存在しない。僕の中には、そういう思いが強くある。だから、僕に向けてくれているだろう賛辞を、むず痒く感じることが多かった。

    「文庫X」というのは、長い長いリレーの途中でしかない。幼い子どもの命が奪われるという悲しい事件からスタートして、今「文庫X」という形に結実しているリレー。刑事、遺族、著者、書店員、書評家、メディア、読者。「これを伝えなければ」という思いが、様々な人たちの手を、まるでバトンのようにして繋がっていく。どこで途切れてもおかしくなかったはずだ。ここまで繋がってきていることが、まさに奇跡であるような、そんな現象なのだと僕は思う。

    だからこそ僕らは、この奇跡をさらに先に繋げなければならない。ここで終わってはいけない。

    この作品を読んだ人は、誰しもがそう思うだろう。『殺人犯はそこにいる』という作品は、僕らが生きるこの社会に放たれた「問い」だ。著者は、著者自身が出来るありとあらゆる手を尽くしながら、現実を変えられなかったという気持ちを持っている。その無念さが、『殺人犯はそこにいる』という「問い」を社会に投げかけるという原動力になった。この「問い」に、一体誰が答えるのか。

    1 2 3
    タグ
    Pocket

  • GoogleAd:SP記事下

  • GoogleAd:007

  • ページの先頭に戻る