• fluct

  • 都築響一×鹿子裕文トークイベント「はみ出した先に見えてきたもの」レポート

    2016年04月12日
    本屋を歩く
    ほんのひきだし編集部 浅野
    Pocket

    鹿子:そうです。下村さんも物好きなんでしょうね。大場さんが一方的に喋り続けるのを、悪臭立ち込める部屋で延々聞くんです。でも不思議なことに、そういう中にずっといて、大場さんの人となりが分かってくるとだんだん慣れてくるんですって。それで結局、「やっぱり一人暮らしはもう無理だ」という判断に至るわけですけど、施設に入所させようにも社会は受け入れてくれないわけですよ。デイサービスも断られたそうなんですね。

    都築:ぼけてるからサービスが必要なのにね。

    鹿子:それで下村さんは頭にきて、「大場さんが1週間に1回でも外に出られるような場所を作ろう」ということになりまして。「今度、お寺で近所の『よりあい』があります。年長者の大場さんが来ないと始まりません」とか何とか言って説得して、お寺の茶室に連れて行ったのが「よりあい」の始まりなんです。

    a-3.29イベント1

    都築:下村さんも、うまいこと言いますねえ。

    鹿子:天才的ですよね。そしたら「他の施設に断られても、あそこなら受け入れてくれる」っていう噂が広まって、ものすごいお年寄りたちが集まるようになっていくんです。まあ、だから選り抜きのアウトサイダーたちってことですよね(笑)。最初は茶室だったのが入りきらなくなって、ついに本堂に移るまでに規模が広がっていくわけなんですけど、下村さんは基本的に管理したりされたりするのが嫌いな人なんで、お年寄りたちはやりたいことをやりたいようにやるわけですよ。お供え用の饅頭を食べちゃったり、鐘をガンガン鳴らしたり。最終的に住職しか入れないようなところにまで入ってしまう始末で、これはいかんということで、民家に移ることになったんです。それを改修して宅老所にしたのが1992年のことです。

    都築:皆さんは『へろへろ』や「ヨレヨレ」で「宅老所よりあい」のことを知ったかと思いますが、実はもう25年以上も続いているところなんですね。他の地区からも声がかかって、施設も増えて。設立のきっかけになった大場さんは、その後どうなったんですか?

    鹿子:身寄りのない方だったので、いよいよ危ないというときに皆で「最後の思い出作りに」と温泉に連れて行ったそうなんです。そしたらあと3日ぐらいで死ぬって言われてた大場さんがよみがえって、なぜか半年も長生きしてまうという(笑)。その大場さんが宅老所で最初に看取った方です。

    都築:宅老所がなかったら、それこそマンションの住人から苦情が入ったり、騒ぎが起きたりして、ほかの施設に入れられていたかもしれないわけでしょ。温泉旅行にも行けないで。

    鹿子:そうですね、精神病院に入れられていたかもしれないです。

     

    鹿子さんと「宅老所よりあい」の繋がり

    都築:鹿子さんが「よりあい」にかかわり始めたのは、いつ頃なんですか?

    鹿子:2011年の10月くらいですね。当時は地元の福岡で、売れないフリーの編集者をやっていました。

    都築:「売れない」って(笑)。

    鹿子:どこかで見たことがあるような企画の依頼があると、変えたくなっちゃうんですよ。別に文句があるわけではなくて、「こっちのほうが面白いな」といろいろ考えているうちに、結局全然違うものにしてしまう。そういう経緯があって、いわゆる“干される”という状況になりまして(笑)。

    都築:鹿子さんも、はみ出した存在だったわけだ。

    鹿子:「よりあい」にかかわるようになったのは、代表をされている村瀬孝生さんの本を出版したいとある新聞社から編集を依頼されたのがきっかけなんです。「単行本化されていない村瀬さんの文章を、まとめて本にしたい」という依頼だったんですが、それではあんまり面白くないと思ったんですね。それでいつもの癖が出て、書き下ろしの企画に変えてしまって。

    都築:手を加えたくなっちゃったんですね。

    鹿子:だけど、村瀬さんがなかなか原稿を書かない。それで、書いてもらうために「よりあい」に通っていたら、ある日村瀬さんから「『よりあい』世話人会の議事録を取ってくれないか」と頼まれたんです。本当は断りたかったんですけど、村瀬さんに本を書いてもらわないと僕のギャラが出ない(笑)。だから引き受けたんです。

    都築:それで「よりあい」に取り込まれていくわけですね。それにしても2015年に本が出るって、すごいスピードじゃないですか。介護にはもともと興味があったんですか?

    鹿子:全く無いですね。

    都築:自分の親でさえ嫌がる人もいる中で、鹿子さんは何を原動力に「よりあい」とかかわるようになったんでしょう?

    鹿子:人との縁ができてしまうと、もはや行きたいか行きたくないかではないんですよ。腐れ縁ですね。仕事でなくても「力を貸してほしい」と言われると、「裏切れない」みたいな気持ちになってくるじゃないですか。

    都築:それで『へろへろ』が刊行されて、「ヨレヨレ」も続いていますよね。現在もそういうかかわり方をしているんですか?

    鹿子:僕は別に介護職員でもないし、働いているわけではないんですが、「よりあい」には「ヨレヨレ」の編集に関係なくしょっちゅう行っていますし、下村さんが「よりあい」を引退して始めた「ケケコ商店」に呼びつけられて行ったりとかしています。行ってもまあ、ゴロゴロしているだけですけど(笑)。

    都築:入所者予備軍だ(笑)。

     

    はみ出した者がたどり着いた居場所

    鹿子:「よりあい」のお年寄りたちも相当アウトサイダーですけど、そこで働くスタッフの人たちも面白いんですよ。「営業成績で判断されるような競争社会で落ちこぼれた」とか、「他の職に就けなかった」とか、はみだし者みたいな人たちも多いんです。「よりあい」は “なんとなく世の中でうまくいかなかった人たち” が集まってくる場所なので、僕も居心地が悪くなかったんですよね。

    都築:「よりあい」自体も介護ビジネスとは一線を画したところにありますよね。

    鹿子:「よりあい」にいると、「人が人を管理する」「向上させる」なんて、おこがましいんじゃないかっていう気がしてくるんですよ。「よりあい」の場合は、お年寄りが職員を振り回していて、お年寄りに主導権がある。でも普通の施設では、介護する側に主導権があるんです。そこが他の施設と「よりあい」の違いなんじゃないですかね。「よりあい」には全国から見学の方が大勢いらっしゃいますが、皆「これは大変だ」と口にして帰っていかれるみたいです。そもそも他の施設とは成り立ちからして違うし、働いてる職員も自分たちが特別変わったことをしているという意識はないんじゃないですかね。

    a-3.29 イベント2

    都築:それで、孤高とは言わないまでも、似た施設が生まれないまま今日に至っているわけですね。

    鹿子:でも自由に生きている「よりあい」のお年寄りたちを見ていると、人生の扉が開きますよ。ものの見方も変わります。

    都築:仙台にダダカンさん(糸井貫二さん)という伝説のハプニング・アーティストがいるんですが、僕は彼のような年の取り方に憧れていて。彼もまた、はみ出している方なんですよ。月2万円ちょっとの年金で1日1食、引き落としも水道料金くらいのもので、生活が非常にシンプルなんです。通帳の見開き2ページに8か月間の経済活動が収まってしまうくらい(笑)。

    鹿子:残高が1,000円を切った頃に、また年金が支給されると。それを繰り返しているわけですね。

    都築:彼自身は非常に有名で、自宅にさまざまな方が訪れています。でもお金はないし、家族もない。有名だけど実質的な名誉がないわけです。それでも、彼はそれでいいと。2020年の東京オリンピックの頃には、100歳を迎えるわけですが。

    鹿子:都築さんは、どんな最期が理想ですか?

    都築:どこか知らない国で迎えたいですね。友人から聞いた、インドのとある村の風習がいいなあと思っていまして。村から少し離れたところに丘があって、死期が近くなった村人はそこで過ごすんですって。子どもが遊びに来て「死ぬのってどんな気持ち?」なんて訊かれたりして、それで死んだら、そのままその丘で土に還るんです。

    鹿子:僕も「あ、死んじゃった」ってくらいのほうがいいですね。名誉やお金があっても、最終的に人間ってこういうことなんだなというのが「よりあい」にかかわって分かったので、好きなように生きて死ぬ、それだけで十分だと思います。

    ***

    文禄堂高円寺店ではこのほかにも、さまざまなイベントが開催されています! ぜひこちらでチェックしてみてくださいね。

    ▼文禄堂高円寺店公式Twitterアカウント


    1 2
    Pocket

  • GoogleAd:SP記事下

  • GoogleAd:007

  • ページの先頭に戻る