• 科学に潜む「人間くささ」が傷ついた人の心を変えていく 『月まで三キロ』著者・伊与原新エッセイ

    2018年12月25日
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    日販 ほんのひきだし編集部「新刊展望」担当
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    『コンタミ 科学汚染』や『ルカの方舟』など、科学を題材にした作品で知られる伊与原新さん。伊与原さんは、地球惑星科学が専門の元研究者です。

    このほど発売された『月まで三キロ』は、そんな著者ならではの知見が活きた短編集。心に痛みを抱えた人々が、月やアンモナイト、雪の結晶など“科学”に魅入られた研究者と出会い、人生に小さな光を取り戻していく6編が収められています。

    一見、感情とは対極にあると思われる“科学”ですが、伊与原さんは科学を「極めて人間的なもの」だといいます。そんな科学がテーマの本作には、どのような思いが込められているのでしょうか。伊与原さんにエッセイを寄せていただきました。

    月まで三キロ
    著者:伊与原新
    発売日:2018年12月
    発行所:新潮社
    価格:1,728円(税込)
    ISBNコード:9784103362128

     

    世界の「縁辺」に触れる

    人間というのはときに、まるで無意味と思われることに情熱を傾ける。アンモナイトの化石を集めてみたり、月のクレーターを数えてみたり、雪の結晶を分類してみたりする。こうしたことに一生をかける者も珍しくない。他人を納得させられるような動機はないだろう。その対象が面白いから、美しいと感じるからやっているだけだ。

    そして、その膨大な蒐集物の中に世界のありようを記述する原理や法則の一片が垣間見えたとき、それは「科学」となる。私にとって「科学」とは、そういうものだ。難解な数式や、専門用語の羅列や、副次的に生まれるテクノロジーのことではけっしてない。

    こんな酔狂に血道を上げる生き物は、人間しかいない。つまり「科学」という営みは、人間性の重要な一側面であり、極めて人間くさいものなのだ。「科学」という二文字につきまとう、非人間的、無機的、冷徹などというイメージは、何か大きな誤解にもとづいていると私は思う。

    先日、真鶴でたまたま貝の博物館に入ったんですよ――。『月まで三キロ』という短編集は、デビュー以来お世話になっている編集者のそんなひと言から始まった。遠藤貝類博物館。在野の貝類研究者、遠藤晴雄氏が生涯をかけて集めた5万点もの標本が収蔵されている。それまで貝になど何の興味もなかったその編集者は、そこで自分でも驚くほどの感銘を受けたという。

    おそらくそれは、知っているようで知らない世界との、偶さかの接触だったのだ。我々は皆、貝というものが様々あることを知っている。道端の石を割れば美しい結晶がつまっていることも、深い海で巨大なクジラが歌っていることも、極域の夜空に壮麗なオーロラが舞うことも、頭では知っている。

    だが、それだけだ。慌ただしい日常に埋没している我々の世界は、ほんの小さな半径の内に閉じている。まぶたは開いていても、何も見ていない。視野の外で起きていることを想像することもなければ、身の回りの細部に目を凝らすこともない。

    そんな、我々にとっては世界の「縁辺」でしかない場所に、研究者たちは生きている。地図も明かりもない状態で、懸命に世界を外に押し広げようと、あるいは深く掘り下げようとしている。何のためということはなく、彼ら自身の人間性の単純な発露として。

    人生に行き詰まったごく普通の人々が、偶然の出会いによって、研究者たちが見ている景色をのぞき見る。そこに魅せられた彼らの思いや生き方に触れる。その接点で人々の心に起きる小さな化学変化を、『月まで三キロ』では描いた。

    その化学変化によって主人公たちの世界が劇的に広がるわけではない。人生が大きく好転するわけでもない。ただ、日常という小さな世界に戻ったとき、その見え方や色合いはわずかに変わっていると思うのだ。世界の「縁辺」に限りない豊穣が広がっていることを時おり思い出せる人生は、それまでよりきっと豊かなものであるに違いない。

    6編の物語を通じてそんな感覚を追体験していただければ、著者としてこれ以上の喜びはない。
    伊与原 新 Shin Iyohara
    1972年、大阪生まれ。神戸大学理学部卒業後、東京大学大学院理学系研究科で地球惑星科学を専攻し、博士課程修了。2010年、『お台場アイランドベイビー』で横溝正史ミステリ大賞を受賞。他の著書に『ルカの方舟』『博物館のファントム』『磁極反転の日』『梟のシエスタ』『蝶が舞ったら、謎のち晴れ 気象予報士・蝶子の推理』『ブルーネス』『コンタミ』がある。

    月まで三キロ
    著者:伊与原新
    発売日:2018年12月
    発行所:新潮社
    価格:1,728円(税込)
    ISBNコード:9784103362128

    「月は一年に三・八センチずつ、地球から離れていってるんですよ」。死に場所を探してタクシーに乗った男を、運転手は山奥へと誘う。「実はわたし、一三八億年前に生まれたんだ」。妻を亡くした男が営む食堂で毎夜定食を頼む女性客が、小学生の娘に語った言葉の真意。科学のきらめきが人の想いを結びつける短篇集。

    〈新潮社 公式サイト『月まで三キロ』より〉

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