「憩いの場が裁きの場に変わる時」 中山七里さんがデビュー前に毎日通った紀伊國屋書店大手町ビル店

2015年10月07日
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日販 商品情報センター「日販通信」編集部
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『さよならドビュッシー』で「このミステリーがすごい!」大賞(2009年)を受賞し、デビュー。以来、最新作『闘う君の唄を』まで、多彩なミステリーを次々と世に送り出している中山七里さん。デビュー当初は「東京に単身赴任中の本好きなサラリーマン」だったそうです。そんな新人作家時代に中山七里さんの身に起こった “ある出来事” とは……。

 

中山七里様 写真.01

中山七里
なかやま・しちり。1961年岐阜県生まれ。2009年、『さよならドビュッシー』で第8回「このミステリーがすごい!」大賞を受賞。のちに『連続殺人鬼カエル男』と改題の『災厄の季節』も同賞初のダブルノミネートで話題に。他の著書に『贖罪の奏鳴曲』『スタート!』『総理にされた男』など。

 

憩いの場が裁きの場に変わる時  中山七里

デビューする前、勤め先の目と鼻の先に紀伊國屋書店大手町ビル店があった。本好きだったので休憩時間にはそこに入り浸るようになる。名前は知られないまでも、毎日通うので当然店側に顔も覚えられる。「毎日?馬鹿を言え。ではお前は土日も同じ書店に通ったのか」と疑われそうだが、同ビルに入っていた全テナントが土日休みであったため、ここの紀伊國屋書店は全国でも珍しく土日祝日が休みなのだ。だから(営業日は)毎日通っていたというのはフカシでも何でもない。本を買わない日でも決まった動線で書棚から書棚を移動する。こちらはいつもネクタイ姿だから、書店側には本好きのサラリーマンにしか見えなかったと思う。いや、実際その通りだったのだけれど。

本好きにとって馴染みの書店は心のオアシスである。嫌なことがあっても新刊書コーナーや自分の好きな書棚の前に佇んでいれば、何となく心が鎮まる。わくわくする。同じ書店に日参したのも、そうした効能を心身が知っていたからに相違ない。日々の激務に勤しむ単身赴任のサラリーマンにとって、その書店は精神安定剤の役割を果たす憩いの場だったのだ。

そのサラリーマンがある日、事もあろうにミステリの新人賞なるものを頂戴してしまった。〈常連客〉から〈下請け〉に変わった瞬間である。

作家志望者にとってデビュー作が店頭に並ぶ光景は一種の憧憬なのだろうが、自分の場合はとにかく戦慄でしかなかった。賞のタイトルがついているので平積みしてもらっているのだが、何と隣には東野圭吾さんとか宮部みゆきさんとかの新刊が並んでいるのだ。喩えるならリトルリーグでまぐれのホームランを打った子供が、次の瞬間にはプロ野球のバッターボックスに立たされたようなものだ。その恐怖は筆舌に尽くしがたい。何しろ周囲は化け物みたいな作家ばかりなのだ。

これは何かしなくてはいけない―― 強迫観念に駆られたサラリーマンがまず思いついたのは、身近な書店への営業廻りだった。すっかり顔馴染みになったカウンターに自著を携えて、おずおずと切り出した。

「あのう、実はこれ書いたのわたしなんですけど……」

カウンター内にいた数人の書店員さん全員が一瞬にして固まった。すぐバックヤードに連行され、店長さんから名刺を頂いた。有難いことにその場でサイン本の作成や追加注文もしていただいた。

場所柄、ビジネス書が幅を利かせ、一般文芸の馴染みが薄い書店だ。そんな中、駆け出しにも及ばないようなど素人の物書きを厚遇でもてなしてくれたことに感激して仕事に戻った。だが、この日から風向きががらりと変わった。言うまでもなく自分の立場が〈下請け〉になったからだ。

版元にこの話をすると、いつの間にか件の書店で〈昼休みを利用した著者自身による新刊案内〉をする、という企画が立ち上がっていたのだ。新人に拒否権などあろうはずもなく、わたしは唯々諾々と従うしかなかった。新刊案内は声だけのお披露目だったが、最寄りの書店だから当然会社の何人かも足を踏み入れる。つまり同僚たちの前で〈デビューした新人〉を演じる訳で、これは究極の罰ゲームに近かった。

この頃から書店に通うことが辛苦になった。自著がどれだけ売れているか。一般書の中でどの位置にあるのか。自分の物書きとしての存在価値が、棚を見ればそれこそ一目瞭然になる。つまり毎日、自分の書いたものにジャッジが下され続けているのだ。新刊が上梓された日などは、離れた場所から自著の並べられた棚を隠れてずっと見守っていた。傍目には完全な不審者である。きっと店側も迷惑だっただろう。

サラリーマンとの二足草鞋は二年ほどで終わった。しかし、あの時に味わった恐怖と緊張は未だに持続している。書店に足を踏み入れる度に心拍数が上がる。まるで裁きを前にした被告人のように。全国の書店好きに警告する。決して物書きになどなるものではない。

 

 著者の新刊 

闘う君の唄を
著者:中山七里
発売日:2015年10月
発行所:朝日新聞出版
価格:1,620円(税込)
ISBNコード:9784022513120

新任教諭として、埼玉県秩父郡の神室幼稚園に赴任した喜多嶋凛。モンスターペアレンツたちの要求を果敢に退け、自らの理想とする教育を実践するのだが……。どんでん返しの帝王が仕掛ける物語は、いったいどこへ向かうのか? 読者の予想を裏切る著者の真骨頂!


(「日販通信」2015年10月号「書店との出合い」より転載)

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