「本屋さんは大人の香り」元祖食堂のおばちゃん作家・山口恵以子さんの「町の本屋さん」応援歌

2015年08月03日
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日販 商品情報センター「日販通信」編集部
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社員食堂で働きながら執筆活動を続けて作家デビューし、松本清張賞受賞も果たした山口恵以子さん。時代モノからサスペンスまでドラマチックなエンタメ小説を次々と発表し、テレビのクイズ番組では博識ぶりも披露しています!

そんな山口さんの「書店にまつわる思い出」とは?エピソードを綴っていただきました。

 

山口恵以子さん近影

山口恵以子
やまぐち・えいこ。1958年東京都江戸川区生まれ。早稲田大学文学部卒。丸の内新聞事業協同組合の社員食堂に勤務しながら小説の執筆に取り組み、2007年『邪剣始末』で作家デビュー。2013年、『月下上海』で第20回松本清張賞を受賞。
現在は作家専業。他の著書に『あなたも眠れない』『小町殺し』『恋形見』など。

 

本屋さんは大人の香り  山口恵以子

私は江戸川区の松江という町で生まれ育ち、三十歳まで暮らした。当時、家から徒歩で行ける距離に二軒の本屋さんがあった。

一軒は松江通り商店街の江戸川書房。これは新作『あしたの朝子』にも店名が登場する。シャッター通りに近づいた商店街の中で、今も店を維持している数少ない一軒である。奥さんは上品できれいな方で、私は密かに“松江のマドンナ”と呼んでいた。

もう一軒は京葉道路の北側の同潤会通りにあった恵文堂書店。ご主人は戦争中ラバウルにいた方で、片腕をなくされていた。父も戦中派なので仲間意識を感じたのだろう、両親は恵文堂から週刊誌二冊と月刊誌二冊を定期購入していた。恵文堂では毎回ご主人が本を届けに来てくれたのだが、それが特別なサービスだったのか、他の店でも一般的なサービスだったのかは、良く分からない。やがて私と兄が小学生になると、定期購入には少年漫画誌と少女漫画誌も加わるようになった。私も兄も本が届くのを心待ちにしていたが、とある発売日の前日、偶然キオスクで新刊を見つけて買ってしまった。母にこっぴどく叱られたっけ。

恵文堂には本以外にもお世話になっていて、我が家の愛犬シロの子供ラッキーをもらっていただいた。恵文堂には娘さんが二人いて、一家四人でラッキーを猫かわいがりしてくれた。朝は家族と朝ご飯を食べ、十時、昼食、三時のおやつ、夕食、そして夜食まで一緒に食べたらしい。冬は炬燵に入りっぱなしで出ようとせず、結局ラッキーはデブになったが、最期までとても幸せそうだった。

両親の定期購入していた週刊誌の一冊は「週刊新潮」である。私の世代はみなそうかも知れないが、エロの目覚めは「黒い報告書」だ。何人かの作家が回り持ちで書いている実録リポートだが、中に一人“唇”を“クチビル”と表記する人がいて、私はそのエロの威力に驚嘆した。ただの漢字が女体のようにうごめき、ぬめ光る物体に変身したかのようで、ただただエロの海に沈殿したのだった。

そして、私が本屋さんに畏敬の念を抱くようになったのもエロが元になっている。

高校時代読んだ安岡章太郎の随筆に「戦前は伏せ字だらけで、永井荷風の小説も『○○まで脱がして』となっていた。この○○は腰巻きに違いないと思って鼻血が出るほど興奮したのだが、戦後伏せ字の取れた小説は『足袋まで脱がして』となっていた。足袋ごときであんなに興奮した自分が情けない」とあり、びっくりして「足袋まで伏せ字だったの?」と母に尋ねた。

「そうよ。戦前は社会主義とエロは御法度だから、男女二人の場面では屏風・布団・枕、全部伏せ字よ」と母。「それじゃ『枕草子』は『○草子』なの?」「あれは別よ。でもね……」そこで母は得意そうに鼻をうごめかせた。「枕草子にはもう一つ意味があってね、春本の隠語なのよ。本屋さんでおおっぴらに春本くれって言えないでしょ?だから枕草子って言ったの」「でも私、本屋さんで『枕草子下さい』って言って、エロ本出されたことなんかないわよ」「それはあんたが女子高生だからよ。うちのパパみたいな嫌らしい中年男が『君、どうだい、最近枕草子の良いの、ないかね?』なんて聞くと『へへへ。旦那、すごいのがありますよ』って、奥から出してくるのよ」「ひょえ~!」……本屋さんって、大人の香りがするなあと感心した。

以来、私は本屋さんを「枕草子を置いてあるかどうか」の基準で眺めている。実際がどうあろうと、いかにも訳知りの店主が奥から「枕草子」を出してきそうな雰囲気が大切なのだ。都心の大きくてきれいで明るい店も重要だけど、町の小さな本屋さんも同じくらい大切だ。「枕草子」をめぐるやりとりを想像するのは大人の楽しみである。町の本屋さんよ、永遠なれ!

 

 著者の新刊 

あしたの朝子
著者:山口恵以子
発売日:2015年06月
発行所:実業之日本社
価格:1,728円(税込)
ISBNコード:9784408536651

激動の昭和30年代を生き抜いた、波乱万丈の人生!恋に破れた朝子は、新宿でウェイトレスをやりながら声優を目指すも、突然退職―下町の鋏工場へ嫁いだ。舅との確執、夫の不倫、愛人との闘い、工員の心中騒動、降りかかる難題を乗り越えて、たくましく生きていく。銭湯、洗濯板、初めてのテレビ、東京オリンピック…失われた時間が愛おしくなる、著者初の自伝的小説。


(「日販通信」2015年8月号「書店との出合い」より転載)

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