• カズオ・イシグロ『忘れられた巨人』―失う記憶、取り戻す記憶

    2015年07月17日
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    日販 商品情報センター 「新刊展望」編集部
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    『忘れられた巨人』(早川書房)の発売を記念し、6月8日に早川国際フォーラム「カズオ・イシグロ講演会」が開催されました。カズオ・イシグロさんの文学・映画・演劇などへの思いや、作品のテーマである「記憶」についての議論など、さまざまな話題が展開された講演会のようすをレポートします。

    忘れられた巨人
    著者:カズオ・イシグロ 土屋政雄
    発売日:2015年04月
    発行所:早川書房
    価格:2,052円(税込)
    ISBNコード:9784152095367

    老夫婦は、遠い地で暮らす息子に会うため長年暮らした村を後にする。謎の霧に満ちた大地を旅するふたりを待つものとは……。ブッカー賞作家が満を持して放つ、『わたしを離さないで』以来10年ぶりの長篇。


    カズオ・イシグロ  Kazuo Ishiguro
    1954年長崎生まれ。5歳のときにイギリスに渡り、以降、日本とイギリスのふたつの文化を背景に育つ。その後英国籍を取得。1982年、デビュー作『遠い山並みの光』で王立文学協会賞、1986年『浮世の画家』でウィットブレッド賞を受賞。1989年『日の名残り』ではイギリス文学の最高峰ブッカー賞に輝いている。


     

    文学にできることは

    講演会の第一部では、女優の杏さん、文芸評論家の市川真人さんとの鼎談が行われた。小説や映画などの表現に対するイシグロさんの分析や、表現者としての視点から杏さんの実感が語られた。また、イシグロさんが小説を通じて伝えたいこと、文学の意義にまで話題は及んだ。

     

    小説と映画、舞台との違い

    イシグロさんの作品はこれまで、映画、舞台などさまざまな形で展開されてきた。日本でも、蜷川幸雄さん演出の舞台「わたしを離さないで」や、杏さんの夫・東出昌大さん主演の「夜想曲集」などが上演されている。脚本家や演出家の解釈により作品は形を変え、時に原作から大きく飛躍を遂げることもある。小説家にとって、それは納得のいくことなのだろうか。

    「私の小説に強い印象を受け、苦労して映画や舞台にしてくださる方がいるのは、小説家として光栄なことです。作曲家の作った楽曲が多くの歌手にアレンジされ世界中に広がるように、私は自分の小説がさまざまな形に変わって成長してもらいたいと思っています」

    小説のほかに、映画の脚本も書くイシグロさんは、映画や舞台、小説にはそれぞれ表現に長所、短所があるため、一つの作品がさまざまなメディアで表現されることには意味があると語る。そのようなメディアの性質の違いは、例えば「記憶」の描き方にも表れる。

    「『記憶』を非常にうまく表現できることは、小説のような文字を用いるフィクションの強みです。私たちが過去の記憶を思い出そうとするとき、それは動画ではなく静止画です。小説はある一瞬を捉えて書くのでその感覚をうまく描くことができるのです。しかし、映画やテレビは記憶を動画の形で表現するため、本来記憶を辿るときのような、ミステリアスで美しい、あいまいな感覚がありません」

    小説、脚本を問わず、イシグロさんの作品では、主人公の記憶をめぐる葛藤が物語の主題となることが多い。そのため、小説に比べ、映画の脚本を書くのは苦労するという。

     

    文学にできること

    『忘れられた巨人』は、6~7世紀のブリテンが舞台。空想上の生き物が多数登場し、アーサー王伝説にもつながるファンタジー小説だが、読者はこの物語から、記憶と忘却をめぐる葛藤などさまざまな感情を想起する。このような物語の裏にあるものを探る読み方は、果たして作家の意図に沿っているのか。ストーリーから離れ、物語に込められた意図を分析し、裏読み・深読みされることについて作家はどう思うのか。この杏さんの質問に対し、イシグロさんは、自分は暗号で書いて読者に解読させるような作品を書きたいのではない、自身が物語で伝えたいのは「感情」であると語った。

    「21世紀は非常に多くの情報が行き交う時代ですが、気持ちを分かち合うためには、お互いに何を感じているのかを伝え合わなければいけません。例えば、多くの人が飢饉で亡くなったことに対し、その事実だけではなく、飢えるとはどういうことなのか、何を感じるのか。子どもが飢えて死んでいくさまを見ている親の痛み、苦しみはどのようなものか。そういうことを伝えたいのです」

    演劇や映画、小説などのフィクションは、そのような事実の裏にあるものを伝えるための表現手段であり、大きな意義がある。

    これは、サルトルの「飢えた子どもの前で文学に何ができるか」という命題に対する、カズオ・イシグロ流の答えであると市川さんが総括し、第一部は幕を下ろした。

     

    「忘れられた巨人」とは

    第二部は、翻訳家の柴田元幸さんと、『忘れられた巨人』の翻訳者・土屋政雄さんとの鼎談が行われた。
    翻訳に対するイシグロさんの思いや、土屋さんによる『忘れられた巨人』を翻訳した際のエピソードが語られ、そして『忘れられた巨人』執筆のきっかけと、物語の主題である「記憶」についての議論が交わされた。

    翻訳と日本語

    今や世界中で読まれているイシグロさんの小説。イシグロさんは執筆の際、自身の作品がさまざまな言語に翻訳されることを意識しているのだろうか。

    「初めの頃、この言葉はうまく翻訳できるか、外国の読者に伝わるかなど、外国語に翻訳されることをかなり意識して書いていました。私よりも若い小説家たちはより一層、自分の作品が世界中に流通することを念頭に置いています」

    しかしイシグロさんは、小説家がみな同様のことを考え始め、ハリウッド映画のように一つのモデルが世界中を席巻するようになってしまうことを懸念する。

    「それぞれの国の特殊な状況や育った環境により文学が豊潤なものとなります。そのような文化の特性が失われることが心配です」

    一方で、世界中の読者を意識して執筆することの良い点は、作家が辺境的なテーマではなく、普遍的なテーマを書こうという動機になることであると語った。

    また、イシグロさんは5歳まで日本に暮らし、英国へ移住した経歴を持つ。生まれ故郷である日本の言葉に翻訳されることに特別な思いはあるのか。

    「日本は私のもう一つの故郷ですから、日本語に翻訳されるのは特別なことです。私の最初の2作は、お互いが日本語で会話をする場面があり、作中では英語でそれを書いています。日本の言語であることを表すために、意図的に少し変な英語で書きました。また、その後の作品でも、英語の文章の中に日本語の残響を意識しています」

    『忘れられた巨人』でもイシグロさんは同じような工夫を施した。6世紀のブリテンに住んでいた人々の元々の言語がバックにあることがわかる英語で書いたのだという。

    「外国語で話しているものを英語で書こうとすると、常にこのような挑戦があります」

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