『神様のカルテ』の著者・夏川草介さんが綴る本屋さんの思い出

2015年04月22日
楽しむ
日販 商品情報センター「日販通信」編集部
Pocket

無題夏川草介
なつかわ・そうすけ。1978年大阪府生まれ。信州大学医学部卒。
長野県の病院にて地域医療に従事。2009年『神様のカルテ』で第10回小学館文庫小説賞を受賞しデビュー。同作は2010年本屋大賞第2位となり映画化もされ、150万部を超えるベストセラーとなる。他の著書に『神様のカルテ 2』『神様のカルテ 3』がある。

 

「『水滸伝』もおもろいで」  夏川草介

「摂津書店」というその小さな本屋は、大阪の郊外にある私の実家から、ほんの目と鼻の先にあった。間口は狭く奥行きも浅く、実にこじんまりとした店構えだが、小学校の頃に足しげく通った私にとっては、その地味な景色がまことに印象深い。この書店に、小学六年生の私は週に一回、横山光輝の『三国志』を一冊ずつ買いに足を運び、しめて六十巻を一年かけて読み解いたのである。

我が子に対してほとんどのアニメや漫画を厳しく制限していた母が、なぜ『三国志』を許可したのかは定かでない。しかし毎週私に一枚の五百円玉を与えて、摂津書店に通わせてくれたのである。長大なこの物語の途中、赤壁の戦いの辺りでは母もずいぶん興に乗ったようで、「周瑜が心配だから、今週は二巻まとめて買ってきなさい」と千円札を渡してくれたこともあった。今となってはいささか意外の感を含んだ楽しい思い出である。

その『三国志』通いの一年間、摂津書店の主人は、毎週のようにやってくる眼鏡の少年に格別の愛想も見せぬまま端然とレジを叩いていたのだが、最後の六十巻を持って行った時初めて口を開いて「これで終わりか?」と問うてきた。戸惑う少年に、主人はにこりともせずに続けて、「『水滸伝』もおもろいで」と告げたのである。

一つの作品を読み終われば、それで何事か決着がつくようなつもりでいた私にとって、新しい作品が提示されたことは単純に驚きであった。驚きつつもその言葉に従って、『水滸伝』にも手を伸ばした私は、たちまちこれに夢中になり、やがて漫画を小説に持ち替えて、広大な中国歴史小説の分野へと没入していくことになったのである。

書店とは不思議な場所だと気付いたのはこの頃であった。『水滸伝』を読み終えると、その隣の『西遊記』が目に入る。『隋唐演義』が終わらぬうちから『封神演義』が面白そうに見えて来る。本屋ではこういう予期せぬ連鎖が起こる。一冊を手に取ってそれで終わりにはならない。何気なく手を伸ばしていくうちに、いつのまにか果てしない書の旅の中に引き込まれているのである。

この引力は、同じ分野の作品だけを呼び寄せてくるわけではない。宮城谷昌光作品を読んでいた私は、五十音順に作家名が並んだ本棚で、宮尾登美子や三島由紀夫に出会った。谷崎潤一郎の『痴人の愛』についたポップの中にナボコフの『ロリータ』を目にし、怪しい期待に胸を膨らませながら手を伸ばしたナボコフの隣に、ニーチェの『この人を見よ』があった。田宮虎彦を買ったのは、寺田寅彦と間違えたからに過ぎない。この脈絡のない連鎖が、私にとって忘れ得ぬ数々の作品をもたらしてくれたことを思えば、書店という場所は得難い邂逅に満ちた空間と言えるだろう。

私を、『三国志』から『水滸伝』へ、『天平の甍』から『吉里吉里人』へと導いてくれた摂津書店は今はもうない。もうないのだが、「『水滸伝』もおもろいで」と言った主人の顔は今でも妙に鮮やかだ。住む土地は大阪から信州へと変わり、生活も殺伐たる医療現場に追われるばかりの毎日だが、かつて感じた躍動感は今もその名残が胸中にあるようで、暇を見つけては書店に足を運んでいる。足を運べば、ときに自分の作品を置いてくれている書店に出会う。そしてまた、ときに夏川草介の名が夏目漱石の隣に並ぶこともある。書の連鎖はいつも予期せぬものである。何者か、漱石を買いに来た客人が、誤って草介を手にとっていくこともあるのではないか。そんな他愛もない空想を広げて、ひとりにやりと笑うのである。

横山光輝「三国志」大研究
著者:横山光輝「三国志」研究会 立間祥介
発売日:2010年08月
発行所:潮出版社
価格:1,836円(税込)
ISBNコード:9784267018503
水滸伝(セット)
著者:横山光輝
発売日:2003年10月
発行所:潮出版社
価格:3,823円(税込)
ISBNコード:9784267890093

 

 著者の新刊 

神様のカルテ 0
著者:夏川草介
発売日:2015年03月
発行所:小学館
価格:1,404円(税込)
ISBNコード:9784093864046

Pocket

タグ
  • ほんのひきだし公式Instagram

    ほんのひきだし公式Instagram
  • 関連記事

    ページの先頭に戻る