• 「猫弁」著者を作家にした「いなもと」とは:大山淳子さんの読書日記

    2017年01月17日
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    日販 ほんのひきだし編集部 「新刊展望」担当
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    累計40万部を超える『猫弁』シリーズで人気の大山淳子さん。「事務所は猫だらけ」という天才弁護士の活躍を描く同シリーズだけでなく、猫好きにはたまらない作品を届けてくれています。そんな大山さんに、切なくも愛情あふれる猫とのエピソードを交え、読書日記をお寄せいただきました。

     

    命のはじまりとおわり

    デビュー作のタイトルに「猫」が付いているため、わたしは「猫好き作家」と呼ばれたりもするが、猫との縁は少ないほうだと思う。

    13年前、娘が赤ちゃん猫を拾ってしまい、しかたなく飼い始めたという消極的エピソードがあるだけだ。わたしが知っているのは1匹の猫だけ。名前は娘がつけた。「いなもと」という。男の子だ。

    当時わたしは猫というものが珍しく、怖くもあった。だから生態を観察したし、育てるための本も読んだし、猫と人間の共生についても考えた。それがデビュー作を書くきっかけになったのは確かで、つまりわたしを作家にしたのは、いなもとなのである。

    彼の出自は不明だ。ひとりぼっちで栗林にいて、カラスにつつかれていた。我が家に来てからは完全室内飼いなので、彼は猫を見た記憶も猫である自覚もないと思う。臆病猫で、病院に行く途中、キャリーの中であばれて鼻から流血した過去があり、「余程のことがない限り、病院には連れて行くまい」と決めていた。

    幸い病気も怪我もせず、13歳になった。わたしはいなもとを家族つまり空気のように必需なものと感じるようになっていた。ゆえに観察も怠っていたように思う。

    年末のことである。「水を飲みすぎるのではないか」と夫が言った。「腎臓が悪くなると、そういう症状が出るらしい」と言うのだ。

    病院の正月休みが明けるのを待って、連れて行った。若い頃と違い、彼は抵抗しなかった。キャリーの中でも診察台の上でもただじっと震えていた。血液と尿を採取された。検査結果は1週間後にわかる。

    結果を待つ間に2冊の本を読んだ。いずれも再読だ。

    1冊目は内田百閒の『ノラや』(中公文庫)。1匹の猫へのすさまじい思いが怒涛のように綴られた日記である。

    ふらっと居ついた野良猫で、たいしてかわいがっていたようにも思えない。なのにいなくなった途端、百閒先生の頭はノラでいっぱいになり、風呂も入らず、食事も喉を通らず、ひたすら嘆く。ただ嘆くのではなく、探し回る。体も使うが金も使う。広告文もばんばん出す。なんと14年の歳月、探し続け、その思いを綴り続けたのである。死んだ猫の噂を聞けば飛んで行き、墓を掘り返して骨を確認し「ノラではなかった」と肩を落とす。「何もそこまで!」なエピソードが延々と続くのだ。

    わたしは自分の子ども時代を振り返った。

    3歳の頃、道で転んで「今、泣いていいのだろうか」と辺りを伺った記憶がある。ろくに口もきけない時分から「空気を読む」ことで感情を抑制していた。

    人は社会性を持つ生き物だし、そこから切り離して純粋な自分の感情に向き合うのは難しい。百閒先生はノラが消えた日を境に、感情の抑制がきかなくなった。悲しみとガチで向き合ったのだ。

    70を過ぎて自分の心に向き合えた先生を「よかったね」とは思えない。だって、辛すぎる。社会性による感情の抑制はむしろ人間を救うのだと思う。

    ノラや 改版
    著者:内田百間
    発売日:1997年01月
    発行所:中央公論新社
    価格:782円(税込)
    ISBNコード:9784122027848

    次に読んだのはポール・ギャリコの『雪のひとひら』(新潮文庫)。

    主人公は「水」である。雪として生まれ、地上に降り、川で雨のしずくと出会い、愛し合って子どもをなして、やがて蒸発して消える。

    解説によると、女性の一生を表しているらしい。けれどわたしは「命のはじまりとおわり」と受け取った。生きている間はいろいろあるけど、生まれる時と消える時はやさしい幸福感に包まれるというお話。『ノラや』でざわついたわたしの心は少しだが落ち着いた。

    雪のひとひら
    著者:ポール・ギャリコ 矢川澄子
    発売日:2008年12月
    発行所:新潮社
    価格:497円(税込)
    ISBNコード:9784102168059

    今、いなもとはわたしのベッドで丸くなり、息をしている。この風景を失った時、わたしはどうなるだろう? 検査結果はまだ出ていない。


    大山淳子 Junko Oyama
    東京都出身。2006年『三日月夜話』で城戸賞入選。2008年『通夜女』で函館港イルミナシオン映画祭シナリオ大賞グランプリ。2011年『猫弁 死体の身代金』でTBS・講談社第3回ドラマ原作大賞を受賞しデビュー。猫弁シリーズに『猫弁 天才百瀬とやっかいな依頼人たち』『猫弁と透明人間』『猫弁と指輪物語』『猫弁と少女探偵』『猫弁と魔女裁判』、他著に『雪猫』『猫は抱くもの』『牛姫の嫁入り』『あずかりやさん』がある。


    【大山淳子さんの最新刊】

    原之内菊子の憂鬱なインタビュー
    著者:大山淳子
    発売日:2017年01月
    発行所:小学館
    価格:1,512円(税込)
    ISBNコード:9784093864626

    弁当屋の看板娘、おたふく顔の原之内菊子には特殊な能力がある。その顔を見た者は皆、”自分語り”が止まらなくなってしまうのだ。

    弱小編プロ「三巴企画」の戸部社長は、菊子の力に惚れ込み、インタビュアーとして採用する。ただ頷いているだけで次々に特ダネを取ってくる菊子だが、ヤクザの組長の取材をしたことから、とんでもない事件に巻き込まれてしまい――!?

    小学館公式HP『原之内菊子の憂鬱なインタビュー』より


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