• 最果タヒさんの読書日記:ありえない思い出

    2016年08月16日
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    日販 ほんのひきだし編集部 「新刊展望」担当
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    7月に最新刊『少女ABCDEFGHIJKLMN』が発売され、詩集『夜空はいつでも最高密度の青色だ』の実写映画化が決定した最果タヒさん。詩集、小説を立て続けに発表する話題の著者は、何を読んでいるのでしょうか? 夏休みの記憶が鮮明に甦る読書日記です。

     

    ありえない思い出

    いつのまにかセミが鳴いている。夏はいつだって過去を思い出す起爆剤でしかなくて、私は小学生だったころの自分のことを毎日、太陽の下に立つたびに思い出す。思うに、夏は過去についての後悔、冬は未来への不安が似合う。といっても大した失敗が私の夏にあったわけでもなくて、ただもう通うことのない小学校のプールや夏期講習、今思えば美味しいとは到底思えないアイスクリームのことを思い出し、何かを喪失したように錯覚するだけだった。ただ、通り過ぎてきただけだというのに。

    夏休みに出された読書感想文には毎年毎年うんざりで、なにが嫌って、読む本は渡されたリストから選ばなければならないから。偉い人の伝記だとか、そんなものがリストに挙げられるたび、先生の意図が見え隠れして、やわらかくてそれでいて潰れることのない、そんなナマコを踏んだような不快感があった。なにかを得ることを目的にして本を読むのはどうしたってべたついて、そんな気持ち悪いこと、わざわざ夏にしなくてもいいのにと思う。せめて冬にすればいい。そもそも夏の読書は好きじゃない。汗で紙がはりつくし、私が文字を追いかけるあいだ、窓の外をとおりぬけていく日の光をちゃんと浴びていないことが、動物として後ろめたい。なんだって腐るような気温だ、季節だ。そういうときはどこまでも動物的に、生き急がなくてはいけないのではと思っていた。生き急ぐような本が読みたいし、なにもかも失っていくようなそんな読書が一番いい。ためになるとかそういうのは冬眠の季節にでも読めばいいと思っていた。

     

    夏には写真集が似合うということに気づいたのはいつだったかな。ある時間、地球のどこかでたしかに起きていたできごとが、写真集の中には閉じ込められている。どれも、もはや現在には存在していないのだろうという、そうした喪失感があった。知らなかった景色だろうと、知らない人たちの記憶だろうと、写真という形で目にした瞬間、まるで自分が忘れてしまっていた過去に触れたようなそんな心地になる。川島小鳥さんの写真集『BABY BABY』(学研)は夏になるとかならず開くし、そうしてそこに閉じ込められた日差しや表情が、すべて過去だということにどうしようもないさみしさと、それだけでは語りつくすことのできない自分の明るい感情を指で、撫でる。知らないうちにとても重要なものを失って、そうして加齢してきたのだとしたらそれこそ生きている証拠じゃないか。きらきらとした心地になる。冬にやってくる途方もない未来への不安に比べれば、夏の後悔にはどこか喜びが潜んでいるね。未来の私には死の可能性すらあって、大切な人に裏切られるかもしれないけれど、過去の私は死なないし、裏切られることもない。ただ幸福だった日々も、うんざりした夜も、通り過ぎてしまったというそれだけのこと。それを苦痛だと思うほど私はまだ、生に対して傲慢ではなかった。むしろ、懐かしいという一言で片付けることのできない過去の眩しさに、何度も何度も傷つけられて、私が生きてきたという証明を得たいとすら思っていた。

    BABY BABY
    著者:川島小鳥
    発売日:2011年03月
    発行所:学研教育出版
    価格:2,700円(税込)
    ISBNコード:9784054048829

    小学生の時にこんな本を見つけていたらどうなっていたのだろう。自分よりずっと年上の被写体に今とは全く違う感情を抱くのかもしれないけれど、それでも、自分の知らないところで、小さな幸福が瞬いて、そして消えたのだということを、天体観測のように垣間見た心地になるだろう。でも、それはもはやありえない。私が写真集を見るようになったのは随分大人になってからだ。すべては、もはや得ることのできない過去だった。ありえない夏休み。私の知らない思い出が、夏の光を反射している。


    最果タヒ Tahi Saihate
    1986年生まれ。詩人・小説家。2006年、現代詩手帖賞を受賞。2007年『グッドモーニング』で中原中也賞、2015年『死んでしまう系のぼくらに』で現代詩花椿賞を受賞。著書に『夜空はいつでも最高密度の青色だ』(詩集)、『渦森今日子は宇宙に期待しない。』(小説)他多数。

    少女ABCDEFGHIJKLMN
    著者:最果タヒ
    発売日:2016年07月
    発行所:河出書房新社
    価格:1,620円(税込)
    ISBNコード:9784309024844
    渦森今日子は宇宙に期待しない。
    著者:最果タヒ
    発売日:2016年03月
    発行所:新潮社
    価格:594円(税込)
    ISBNコード:9784101800592
    死んでしまう系のぼくらに
    著者:最果タヒ
    発売日:2014年09月
    発行所:リトル・モア
    価格:1,296円(税込)
    ISBNコード:9784898153895

    (「新刊展望」2016年9月号より転載)

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