心にしみわたる“山女子小説” 北村薫さん『八月の六日間』インタビュー

2016年06月18日
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日販 ほんのひきだし編集部「新刊展望」担当
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〈北村薫さんの『八月の六日間』文庫版がこのほど発売されました。単行本刊行時(2014年5月)のインタビューを再掲載します。〉

八月の六日間
著者:北村薫
発売日:2016年06月
発行所:KADOKAWA
価格:691円(税込)
ISBNコード:9784041042175

 

心を開きに山へ行く

主人公の〈わたし〉は40歳目前。東京にひとり暮らし。まっすぐで不器用で、肩肘張って生きてきた。仕事は文芸雑誌の副編集長。上司と部下の調整役で、しんどいことも少なくない。かつては一緒に住む男がいたけれど、別れた。不都合の多い世の中。どんよりした、人生の不調……。

3年ほど前、そんなわたしに職場の同僚が声をかけてくれた。「山、行きませんか」。紅葉きらめく初心者向けコースで、運命的に遭遇した山の魅力。以来、わたしは心のおもむくまま、一人で山旅をするようになる。

〈結局、わたしは山に心を開きに行く。そして、一人の方がより、そうなる。だから、一人が好きなのだと思う。〉

山の美しさ、恐ろしさ、たくさんの人との一期一会。さまざまな出逢いを経て、わたしの心は少しずつ解き放たれていく――。

北村「山に登ることと人生を重ねあわせ、物語の行きつく先では、ストレスを抱えた主人公に何らかの解放を与えたいということが最初にありました。第1話で、欠け落ちた心の部品に気づく彼女が山旅を経て、さあどうなるか。どうしようもないことに向かい合い、人はどう生きていくのか。時の流れの中で、上ったり下りたりしながら……」

第1話「九月の五日間」は槍ヶ岳、北アルプス表銀座縦走ルート。第2話「二月の三日間」は裏磐梯スノーシューツアー。常念岳、北アルプス表銀座縦走ルートを行く「十月の五日間」。雪の天狗岳を歩く「五月の三日間」。そして最終話「八月の六日間」は双六岳、北アルプス縦走。さまざまな季節の5つの山旅が、時系列で描かれる。いずれも、主人公と一緒に山道を踏みしめ、コースを辿っていくようなリアルさが印象的だ。

ところが北村さん自身は、実際には山に登ったことがないのだという。

北村「子どもが小さかった頃は高原なんかに行ったことがあるけれど、いわゆる“登山”と身構えたものは経験がないんです。でも、編集者には山に登る人たちが結構たくさんいて、話を聞いているうちに、素材として一度書いてみたいなと。

小説ですからね。人殺しをしていなくとも殺人ミステリーを書いたりするわけです。だから私の場合は“こたつ登山”(笑)。コースに関しては、実際に行ってくれた編集者から話を聞きました。そのうち欲が出てくると、こんなところに行ってきてほしいとお願いすることも。ラストシーンは、『槍ヶ岳がこんなふうに見えるところ』とリクエストして、行ってもらいました。

ただ、現地に自分が行っていなくとも、表現する言葉は私自身のもの。ですから、実際に山に登る方がこれを読んで、まさにこうだと感じていただけたなら、とてもうれしいですね」

山麓02

山の描写ばかりでなく、主人公の心の動きも、誰もが共感できる部分は多いのではないだろうか。これまでの人生において生きづらさを感じたことなど一度もないという、並はずれた強い人以外は。

北村「まさに私がここにいる。そんなふうに思っていただけたら、この小説は成功なんじゃないかな。心の内にあるさまざまな思いを、何らかの普遍的な形にして書きたかった作品なので。

生き難い人ですよ、この主人公は。もっとなあなあでやれば楽になるだろうに、なかなかそれができなくて。この年齢になってやっと少しわかってきたけれど、若い頃は今以上に肩肘を張っていた。いそうじゃないですか、こういう人(笑)。

山にも一人で行くのがいいと言う。でも一人旅だからこその出逢いもまたあって、その関わり方は、〈君子の交わりは、淡きこと水の如し〉。子どもみたいな素直なつきあいが、山ではできるんですね」

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